第37回太宰治賞

第37回太宰治賞 贈呈式が行われました

 6月15日(火)、昨年に引き続いて新型コロナウイルス感染拡大のあおりを受け、例年の東京一ツ橋・如水会館から三鷹市公会堂さんさん館多目的会議室に会場を移して、関係者のみによって第37回太宰治賞(筑摩書房・三鷹市共同主催)の贈呈式が行なわれました。
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 最初に司会より列席者の紹介があったあと、三鷹市の河村孝市長が主催者挨拶を行ないました。 「今年も昨年と同じく、如水会館で盛大に贈呈式を行うことができず大変残念なのですが、不幸中の幸いと言いますか、山家さんは三年前の最終候補者でもあり、そのとき贈呈式にもいらしていただいていたということで、受賞者となった今回は家族的な雰囲気での贈呈式をお楽しみいただけると幸いです。
 太宰治賞が第37回を迎え、三鷹市と筑摩書房の共催というかたちになってから23回を数えるわけですが、一見、お役所と無頼な文学者というのは正反対のように見えて、街をどのように捉え、どのように生きていくかを考えるという点で、じつは共通していると思います。三鷹は太宰さんが亡くなられた土地でもありますが、同時に、生きて多くの充実した作品を書いた土地でもあります。
 23年前はまだ実際に太宰と交流のあった市民の方もいらっしゃいましたが、現在はだいぶ少なくなり、また太宰が生きていたころの街の面影も跨線橋などわずかに残るばかりです。一方で、市民の方々が観光ガイド協会を作って三鷹駅前で、昔の写真や記録を展示して、太宰さんが暮らしたかつての三鷹を思い描くという試みをしています。
 山家さんはお話をうかがったところによると、若いころ、よく三鷹にいらしていただいていたとのことで、また今回の受賞を契機として、太宰が歩いた街並みを思い浮かべながら三鷹にあらためて親しんでいただき、今後、作家としてますますご活躍いただければと思います。」

 続いて、筑摩書房・喜入冬子社長が挨拶を述べました。
「昨年にひきつづいて、このような緊急事態のなか、選考を尽くしていただいた選考委員の皆様、また開催に尽力いただいた関係各位の方々に感謝を申し上げます。
 山家さんは三年前の最終候補から、あきらめず研鑽を重ね、今回受賞の栄誉に至ったということで、そのように太宰治賞に心を傾けていただいたこと、主催者として嬉しく思います。
 およそ一年半近くになるコロナ禍のなかで、皆さんさまざまに苦しいことがあると思いますが、本の世界で言うと、幸いにもと言っていいのか難しいところですが、皆さんが外食や行楽を避けたぶん読書に時間を割くようになったためか、やや上向きの状態となっています。今日、ここにくる電車のなかでも、たまたまかもしれませんが、七人掛けの座席に座っている四人が本を読んでいる光景を目撃しました。これが習慣として続いて、山家さんの本をみんなが読んでいるという未来が来るといいなと思いました。そのためにも今回の受賞をきっかけとして、続々と素晴らしい作品をお書きいただけると幸いです。今回は本当におめでとうございます。」

 引き続いて、選考委員を代表して中島京子氏が選考経緯について述べられました。
「最終選考に挙がった四作のうち、二作は物語性の強いもので、二作は日常の心境小説的なものとはっきりわかれまして、最終的に後者の二作で受賞を争うというかたちになりました。
 読み直してみて、山家さんの受賞作がいちばん丁寧に書かれていたと思いました。児童養護施設で育った女の子が、あいまいな家庭や親の記憶をたどっていくという話で、読み始めにはカズオ・イシグロの『わたしを離さないで』のような小説かと思ったのですが、そうではなく、彼女が折にふれ思い出す記憶と日常の生活がシームレスに書かれる、そういう特徴のある小説でした。
 二歳で親と別れて、そんなに鮮明な記憶が残るだろうかというのがわからないわけですが、作中で彼女が見るシングルファーザーで娘を育てたラーメン屋さんのドキュメンタリーとか施設の女の子たちが語る無数の家庭の話みたいな、必ずしも彼女が体験したわけではないものを物語として取り込んで生きているということなのかなと思いました。
 いちばん印象的なのは、ラストの手術のくだりで、ある種物語にくるまれてある主人公は、それゆえに現実とわりかしハードにぶつかってしまうわけですが、そのピークと言いますか、そこで彼女の幻想と現実とが激しくぶつかり合い、ぶつんと終わるところです。
 三年前の最終候補作もとても丁寧に書かれた作品でしたので、山家さんの今後のご活躍を大変楽しみにしています。」

 表彰状、正賞及び副賞授与のあと、山家望氏が受賞の挨拶をしました。
「私は小平の出身で大学が武蔵野美術大学だったのですが、美大に進むために高校生のときにずっと三鷹の美術研究所のアトリエに通って、毎日絵を描いていましたので、三鷹市には非常に親しみを感じていますし、三鷹市主催の賞をいただけたことを大変嬉しく思っています。
 大学時代、大学近くの公園で名刺入れを拾ったことがありまして、ご自身の名刺から連絡を差し上げてお返ししたのですが、そこにおさめられた名刺を眺めていると、どんなひとと出会って、どんな仕事をしているかというのが手に取るようにわかる気がして、断片から浮かび上がるひとの輪郭に興味を持ちました。
 あと、娘がいま五歳なんですけど、三歳健診のときに手持ち無沙汰で母子手帳を読んでいたんです。彼女が生まれてからの記録がずっと残されていて、ふと自分がいまいなくなったらこの子はどのように生きていくんだろうか、自分のことを覚えていてくれるだろうかと考えて、漠然とかなしくなったことがありまして、これらのことが『birth』を書いたきっかけになったのかなと思います。
 三年前の最終候補作にしても一貫して、家族の存在または不在がもたらす孤独感、それにまつわる記憶をテーマとして書いていると思いますし、それは生涯書いていくのではないかと考えています。
 三年前、贈呈式に参加させていただいて感じたのは、あれだけの人数の方が受賞のお祝いに駆けつけてくださったということで、自分のことではないのに(笑)、文学が守られている、あたたかく迎えられているという感動が非常にありまして、その後も書き続ける原動力になったと思います。
 今度は私が文学を守っていっていいと思える作品をしっかり書いていって、そういう土壌の一部となれたらと思いますので、今後ともご指導ご鞭撻いただけると幸いです。本日はどうもありがとうございました。」

 そのあと、関西圏に緊急事態宣言が発令されたため欠席となった選考委員の津村記久子さんより山家さんへのお祝いのことばが司会によって代読され、続いて、奥泉、荒川の両選考委員が山家さんへのはなむけのことばを述べられて、出席者による記念撮影を経て、和やかな雰囲気のうちに散会となりました。

*選評と受賞作、それに最終候補作品は『太宰治賞2021』にて読むことが出来ます。