浪速のスーパーティーチャー守本の授業実践例

第二章 小説

第二章 小説

1 『待ち伏せ』 ティム・オブライエン/村上春樹 訳

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② 補助線を引く――身体論

『待ち伏せ』の授業をする前に、教室では鷲田清一の『身体、この遠きもの』(筑摩書房『精選国語総合 現代文編 改訂版』P.178)を取り上げ、身体論に言及しました。詳細は「評論」の章で述べますが、評論というのは論理の積み重ねで、感性とは無縁だと思われています。しかし評論もまた、実感と無縁ではありません。この文章は読み取りにくい所がありますが、その理由は論理だけでなく、論理を実感として伝えるために、また実感を論理的に伝えるために苦労していることに原因があると思えます。そいう意味では、鷲田の身体論を小説によって実感できるという意味でも、この小説に『身体、この遠きもの』という補助線を引くことは重要だと思います。

 『身体、この遠きもの』の中で鷲田氏は、身体を物質の塊としたデカルトの心身二元論では説明できない身体の不思議について指摘し、「私」が随意にできない身体、「私」に知覚できない身体、そして記憶する身体と続け、最後にニーチェの「各人はそれぞれおのれ自身にもっとも遠い者である。」を引用してまとめています。ここにあるように身体が自分の思い通りにならず、しかも身体それ自身が主体であり、意志を持ち得るとすれば、『待ち伏せ』の主人公の行動も納得できます。身体が恐怖を感じたのですね。胃の異変もそうです。「私」の意志と異なって手榴弾を投げたのも身体の意志なのです。

 「私」が随意にできない身体について、生徒たちからは身近な例として、「緊張感で足の震えが止まらない」とか、「手のひらから汗がふき出る」等の例が挙がってきます。記憶する身体では、「ピアノの譜面は忘れたのに指が勝手に動いて弾き出せた」とか、「久しぶりにしたスキーで勝手に身体が動いた」等の例も挙がります。このような過程を経て、生徒の実感に着地させるわけです。そして、これまで薄々感じていた身体への疑問に形が与えられることによって、主人公の抱いた身体への疑問が実感として生徒に伝わってくるようになります。

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