浪速のスーパーティーチャー守本の授業実践例

第二章 小説

1 『待ち伏せ』 ティム・オブライエン/村上春樹 訳

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 この作品のヒミツは、二つあります。一つは「(投げるつもりはなかったのに)なぜ、手榴弾を投げてしまったのか?」ということです。生徒の感想でもそれに関するものが多く見られます。もう一つは、冒頭にある「彼は背の低いやせた男だった。年は二十歳前後だった。私は彼が怖かった――というか何かが怖かった。」に見える、何に対して恐怖を持ったのか、ということです。主人公はそのことを自分に問い続けますが、明確な答えにはいたっていません。小説家の主人公は、それを解き明かすために戦争の話を書いているのです。実際、作者はベトナム戦争に従軍し、帰還後一貫してベトナム戦争をテーマに執筆しています。この作品の「私」も、多くは作者に重なるように思えます。

① 心情を押さえる

 小説は具体的な出来事を描きながら、そこにおける登場人物の心情の変化を通して、人間や人生の本質を描いてみせます。この小説の場合の出来事も主人公の心情を劇的に変化させ、そこに人間と人生の本質を垣間見させてくれます。

 主人公がベトナム戦争に従軍し、道沿いの茂みで敵を待ち伏せする任務に就いたときのことです。道の向こうから若い兵士が銃を持って近寄ってきたのですが、彼は主人公の存在に気付かず、くつろいでいるかのようでした。

 それは生きるか死ぬかの瀬戸際ではなかった。そこには危険らしい危険はなかった。何もしなければ、若者はおそらく何事もなくそのまま通り過ぎてしまったことだろう。

 このような状況下で、主人公である「私」は、その兵士に向かって手榴弾を投げつけてしまいます。この場面での主人公の描写には特徴があります。まるで二人の「私」が描かれているように見えるのです。授業ではその二つの「私」を二色のマーカーで色分けする作業を挟んだりもしています。ここでは便宜的にA・Bとします。

〈A〉① 彼は何かしら朝霧の一部であるかのように見えた。あるいは私自身のイマジネーションの一部であるみたいに。
〈B〉② しかし私の胃の感触にははっきりとしたリアリティーがあった。
〈A〉③ 私はその若者を憎んでいたわけではなかった。私は彼のことを敵として考えたわけではなかった。私はモラルや、政治学や、あるいは軍事的責務を考慮したわけではなかった。
〈B〉④ 胃の中からこみあげてくるものを、私はなんとか飲みこもうとした。それはレモネードみたいな味がした。フルーツっぽくって、酸っぱかった。

 Aの「私」は、危機感もなければ、恐怖もありませんね。まるで映画の一場面でも見ているような感じです。しかし同じ場面で、Bの「私」の「胃」は恐怖を感じているのです。極度の緊張が胃痛をもたらすことがありますが、それを感じさせます。頭では恐怖を感じていなくても、胃が恐怖を感じて喘いでいるのですね。その身体の異変を感じて、主人公は「私は怖くてたまらなかった。」と、初めて恐怖を自覚するに至るのです。

 手榴弾を投げる場面でも同じです。

 さあ投げるんだと自分に言いきかせる前に、私はもうすでに手榴弾を投げてしまっていた。

 頭より先に身体が反応し、投げたのです。この、自分の意志とは異なることを身体がしたということが、主人公には納得できません。また、この出来事について「(もし手榴弾を投げていなければ)若者はおそらく何事もなくそのまま通り過ぎてしまったことだろう。そしていつもそんな具合にことは運んだだろう。」と回想するのも、この出来事以来、自分の中の歯車が狂ってしまったことを言っているのでしょう。自分の中に見知らぬもう一人の自分を見てとった主人公の苦悩が、ここから始まっているのです。自分で自分がわからなくなってきているのです。自分で自分に違和感を覚え、自分から疎外されているのです。この感覚は村上春樹の描く小説ではおなじみの、ねじれの世界や、ワールズエンドにもつながる世界ですね。

 自分の心身が不調になり、それが科学的な医療では治癒できない時や、何か不運に見舞われた時に、占いや祈祷等の超自然的なものに頼る人たちが少なからずいます。そういう人たちに、あなたの不幸は前世の報いであるとか、以前の悪行の報いだとか、根拠もないことを並べたてて、まるで脅しているように、とくとくとその理由を説明する「霊能者」と称する人々が存在し、テレビにまで出ています。社会的に認知されているとまでいえないと思うのですが、この根拠もない脅しを聞いて、質問者がそれをありがたく受け入れています。それは偏に、自分の身に生起した不幸の説明が欲しいからなのです。「なぜ自分がこうなったのか?」という疑問に対する理由を明確につけてくれれば、それに対処できる可能性がでてくるからです。しかし、その理由や原因の多くは、結局は勧善懲悪風のオカルト的な因果関係の世界です。先述した、まさしく生徒たちが親しんでいるアニメやゲームと同様の世界なのです。生徒たちの感性は、この大人の世界が投影されているわけです。このようなつじつま合わせはずっと昔からあるのでしょうが、近年のメディアの幼稚化がそれに拍車をかけているようにも思えます。

 この主人公に生起した異変についても、生徒の中には勧善懲悪風でオカルト的な因果関係でつじつまを合わせようとするものが少なくありません。生徒にしても世界がそのような因果関係ですべて説明できると思っているわけではないのでしょうが、少なくとも小説はそのような因果関係でできていると感じているようです。まず、この予断から抜け出すことが授業の一歩です。

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