浪速のスーパーティーチャー守本の授業実践例

第三章 俳句

秋三句

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a この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉  三橋鷹女

(筑摩書房『精選国語総合 現代文編 改訂版』P.152)
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 まず、感動の中心から見ていきますと、「鬼女となるべし」の中切れです。「当然鬼女となるだろう」という強い推量がこの俳句の感動の中心となります。夕陽に映える紅葉を見ていたら、その美しさのあまり、その世界に身を置いたら自分は鬼女になるという幻想が生まれたという句です。難解な句ですね。そこで、具体に即して見ていきます。

① なぜ「この樹登らば?」――具体に寄り添う

 まず、「この樹登らば」です。「樹上では」でもいいような気もしますが、これでなければいけないのですね。あえて字余りをおそれず「この樹」とすることで、作者の視点や位置が見えてくるのです。俳句の鑑賞では、作者はどの位置にいるかということも重要になってきます。具体的に実感するためには、作者の「場」を受け止める必要があるからです。この場合は紅葉の木元に近い部分、「これ」と指させる地点でしょう。そうなると、作者は紅葉の木を下から仰いでいるということになります。すると「登らば」も見えてきます。

 本校(大阪府立豊中高等学校)の中庭には紅葉の樹が数本あります。この句を扱った時は、事前に生徒に携帯電話等で紅葉を下から仰いだ写真を撮ることを課題にしました(画像参照)。教室でその映像を見ながら、「なぜ『登らば』」なのか」という質問を出しました。自分が撮影した映像を見ながら、また、撮影当時の紅葉を思い出す中で、「あっ、登れる!」という声があがってきました。紅葉の木は木の下の方から枝分かれしていて樹上まで続いています。それで登れそうだというのです。発見です。

 また、ある生徒は「まるでグラデーション、階段みたい。」という発見をします。紅葉の木は、下の方は緑色が濃く、上になればなるほど赤味を濃くしていきます。その階層を階段に擬しているわけです。作者の「登らば」という発想の契機には、このような実感があるのではないでしょうか。そして、樹上の濃い紅葉の葉々の向こうに秋の夕陽が透けているという、華麗で幻想的な情景が浮かび上がってきます。

② 「なぜ、鬼女?」――心情に寄り添う

 紅葉の樹上に美しく幻想的な世界を発見し、その世界に魅了された作者は、その世界に引きずり込まれるように登っていきたいと思うようになっていきます。枝振りやグラデーションがそれを唆しているようですね。では、なぜ「鬼女」になるのでしょうか。

 授業では、能の「紅葉狩」などの例を出して、紅葉の幻想的な美しさが伝統的に「魔性」「鬼女」を連想させるという説明をしがちですが、それでだけでは、生徒は頭では理解できても、実感として納得したとはいえません。もっと作者の心情に踏み込む必要があります。

 ここで発見です。作者は樹上の幻想的な世界に自身を置いた時、「鬼女」となる自分を発見し、驚き、詠嘆しているのです。紅葉の階段を上り、非日常的な世界に身を置けば、自分はいつもの自分ではなく「鬼女」に変貌するに違いないという思いです。平凡な主婦が秘めている「魔性」の発現です。作者は紅葉を見ながら、実は自分の内面をも見ているのですね。そうとらえると「この樹登らば」も、また違った趣になります。非日常の世界に登らずにはいられない切迫したものが作者の内面にあるかもしれないということなのです。

 このような気にさせる「夕紅葉」の美しさということなのでしょうが、美しさと不思議さと怖さを秘めた句ですね。

③ 「なぜ字余り?」――心情と調べ

 「なぜ字余り?」という疑問を持つことは大事です。定型の俳句をあえて字余りにするには、何か理由があるはずです。この句が魅力的であるのは、上五が「この樹登らば」という字余りであることも関係しているのです。

 五・七・五という定型の調べがリズミカルで淀みなく流れ、印象が弱くなるということを嫌う場合、あえて破調にして強調するということがあります。この場合も、単に「樹登らば」に比べ、作者が紅葉の美しさに魅了され、その世界に引き込まれていく心の動き、切迫感がそこにひとつの間として感じられます。字余りや破調などは作者の心情と深く結びついていることに留意することも大事だと言えます。

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