ちくまの教科書 > 国語通信 > 連載 > 定番教材の誕生 第3回(5/6)
第1回 “恐るべき画一化”―定番教材はなぜ消えない
第2回 “生き残りの罪障感”―定番教材の法則
第3回 “復員兵が見た世界”―定番教材にひそむ戦場体験
第4回 “ぼんやりとしたうしろめたさ”―定番教材の生き残り
第5回 “豊かな社会の罪障感”―定番教材のゆくえ
野中潤(のなか・じゅん)
聖光学院中・高教諭
日本大学非常勤講師
著者のブログ
BUNGAKU@モダン日本
第3回 “復員兵が見た世界”―定番教材にひそむ戦場体験
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喜助の論理と戦場の論理

 自分が死ぬことによって残された兄の生を支えようとする弟の論理や、苦しみながら死に瀕している者を殺してしまったことを自ら許容している喜助の論理は、極限状況の中で死に直面した兵士たちの論理にとてもよく似ています。

 たとえば、クリント・イーストウッド監督の映画「硫黄島からの手紙」で注目を集めた硫黄島の地下壕での消耗戦においては、飢えと渇きに襲われ、排泄物の臭気や地熱による酷暑の中で絶望した兵士が辛苦に耐えかねて自殺したり、爆撃や火炎放射による重傷を負いながら満足な治療を受けられない兵士の辛苦を見かねて殺害したりといったことがあったようです。昨年の夏に放映されたNHKのドキュメンタリー番組に出演した元日本兵の秋草鶴次さんなどの証言によって、硫黄島玉砕戦の想像を絶する現実の一端が広く知られるようになりました。

 復員後に自分の体験を語らないままに生涯を終えた人びとは、硫黄島玉砕戦の生き残り兵士以外にも大勢いたはずです。「苦しいから死なせてくれ」という願いを聞き入れて戦友の命を奪ったという経験を持つ人もいたに違いありません。そのような復員兵が教壇に立ったとしたら、喜助が弟殺しの罪で島流しになることに対して「果たしてこれが罪であろうか」と疑問を投げかけ、安楽死の肯定、あるいは容認を示唆する「高瀬舟」を、果たしてどのように受けとめたのでしょうか。

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