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文章に即して古典を読む

『土佐日記』「男もすなる」(冒頭)

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●『土佐日記』は文学として読まれているか

 「それの年の、十二月の、二十日余り一日の日の、……」(『精選国語総合 古典編 改訂版』37頁3行目/『国語総合 改訂版』249頁2行目)の「それの年」は、私の手許にある教科書では、次のような注をつけている。「ある年。実際には承平四年(九三四)であるが、ぼかした表現をしたもの。」某社の朝の読書用に作られた『土佐日記』の口語訳では、「承平四年」とはっきりと明記していた。かくいう私自身も、かつて教えたときには、何のためらいもなく、「それの年」とは「承平四年」のことだと生徒に説明していた。

 『土佐日記』(ここでは教科書の表記に従う)は、高校現場においては「文学」として読まれていないのではないか。少なくとも先に示したことは、『土佐日記』が作者・紀貫之の土佐から都までの旅の様子を記した記録として読まれてはいるものの、文学として読まれていないことを示しているように私には思われる。

 「それの年」に「承平四年」という注をつけたくらいのことで何を大げさな、といわれるかもしれない。しかし、一語一文にこだわって読もうとしていくならば、そのような箇所に私はこだわらざるをえない。またこだわるからこそ、古文が面白く読めると思うのである。

 「ある日の暮れ方のことである。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。」(『精選国語総合 現代文編 改訂版』20頁/『国語総合 改訂版』26頁)と『羅生門』(芥川龍之介)ははじまる。ここで「ある日」とはいつのことなのか、とこだわるだろうか。『羅生門』はフィクションであり、『土佐日記』は旅の日記、比べるものが違うといわれそうだが、どちらも文学作品として読むのであれば、そこでそのように語ることの意味をこそ読むべきではないのか。なぜ語り手が「ある日」と語るのか、その語りの意味こそが考えられなくてはならない。それが文学を読むということではないだろうか。

 前述の「それの年」もなぜ「それの年」というのか、なぜぼかした表現をとるのか、その意味を考えるところから文学の読みははじまるのではないか。「ある年。実際には承平四年(九三四)であるが、……」という注は、ぼかした意味を考えることに向かわず、事実としての旅の記述を歴史的に押さえることに向かってしまう。結果的に『土佐日記』は文学として読まれるのではなく、紀貫之という有名な平安貴族の旅の記録として読まれてしまう。

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