浪速のスーパーティーチャー守本の授業実践例

第三章 俳句

夏三句

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a 白牡丹といふといへども紅ほのか  高浜虚子

(筑摩書房『国語総合 改訂版』P.166)

①「といふといへども」――表現に寄り添う

| 指導案 |
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 この句の発見は、「白牡丹」という大ぶりで華やかな初夏の白い花に紅色を見て取ったということです。しかし単なる紅色の発見ならば、「白牡丹ほのかに紅の差しにけり」ぐらいでもいいのかもしれません。なぜ、「といふといへども」という回りくどい言い回しの表現になるのでしょうか。ここにこの句のヒミツがあるのです。

 一見すれば意味のなさそうなこの表現には、作者の紅色の発見の過程が表れているのです。白牡丹の美しさに目を惹かれ花に見入れば、ちょっと待てよ、白牡丹といいながら何か他の色味がほのかに差している。そしてさらに目を凝らして見入った時に発見したのが「紅」なのです。その発見の時間的な経過、それまでの心情の流れが「といふといへども」というのらりくらりとした手探り感に表れているわけです。そして、白牡丹の白を引き立て、その美しさを引き出しているヒミツの答えがほのかにさす紅色であるという発見・驚きが、下五の「紅ほのか」に表れているのです。

 俳句は十七音の短詩ですが、俳句の実作の時にはその十七音が長いと感じることがあるようです。極端な例ですが、「青空に白球の飛ぶ甲子園」という句を添削する場合、「甲子園」には、「白球」も「青空」も「飛ぶ」さえもイメージとして含まれていますから、それらに朱を入れ再考を促すわけです。生徒は自分の句が朱だらけで「甲子園」しか残っていないのに驚きます。そこで表現の難しさと厳密さ、深さを実感し、十七音は長いという思いに至るわけです。一語一語がいかに意味のある大事なものであるかということに気づくとき、この句の場合の「といふといへども」という素っ気ない言い回しの背後にある作者の工夫に思い至るようになるのです。

②「紅(こう)ほのか」――対比を押さえる。

 「牡丹(ぼたん)」は漢名です。したがって「白牡丹」もそれに倣って「はくぼたん」と音で読みます。ですから「紅」も「白(はく)」との関連で「こう」と読むわけです。この紅白の対比も虚子が白牡丹に発見したものです。

 俳句の作句法に「取り合わせ」があります。一見無関係と見えるものを取り合わせることでそこに新たな関係を「発見」するのですが、十七音という限られた短詩ですから、その組み合わせの関係は詳述されないため、俳句の鑑賞はそう簡単ではありません。

玫瑰(はまなす)や今も沖には未来あり   中村草田男

 昭和八年、作者三十三歳の句です。なぜ「玫瑰」が「今も沖には未来あり」という感慨や発見をもたらしたのでしょうか。これがこの句の取り合わせのヒミツです。難解な句ですが、取り合わせの句の多くが対比の発見に基づいているということを知っていればそれが糸口になります。

 「玫瑰」は、浜辺に自生する野生のばらで、茄子のような実をつけるので「ハマナス」といいます。玫瑰は、故郷の浜辺や、その赤い実を食した子ども時代の思い出を喚起するのでしょう、それには郷愁が寄り添います。つまり、玫瑰による郷愁と対比されて「今」がより意識され、一つの発見が生まれるということなのです。玫瑰を見て、昔日に沖を見て抱いた未来への熱い思いを回想しながら、今、沖を見て未来への思いを新たにしている自分を発見しているのです。またこの取り合わせには、玫瑰の咲く「浜」と「沖」、近景と遠景の対比も生まれています。このような時間的な対比、空間的な対比に心情が寄り添うことで、短詩形の俳句が奥行きあるものになっているのです。

 この「白牡丹」の句の場合は色彩の対比です。白牡丹というぐらいだから白一色と思っていたら、そこには反対色の紅があったという驚きなのです。つまり、「白」が白として美しく艶やかなのは、そこに対照的な「紅」があるという発見なのです。そういう意味でも「こうはく」という読みが対比を際立たせることになるのです。俳人の鷹羽狩行氏などは、この対比をより意識的に「対立」とし、そこに緊張関係を見て取っています。氏の「摩天楼より新緑がパセリほど」では対比の発見が即俳句になっているのがわかります。俳句の鑑賞のみならず、実作指導としても「対比」「対立」の発見は有効な方法だと思います。

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