井奥陽子
( いおく・ようこ )井奥 陽子(いおく・ようこ):兵庫県生まれ。成城大学文芸学芸術学科准教授。東京藝術大学美術研究科博士後期課程修了。博士(美術)。専門は美学・思想史、とくにドイツ啓蒙主義美学。二〇二二年八月から二〇二六年一月まで、モスクワに暮らす。著書に『近代美学入門』(ちくま新書)、『バウムガルテンの美学――図像と認識の修辞学』(慶應義塾大学出版会)がある。
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「ロシアで過ごした3年5ヵ月の間に、息子は3歳になり、モスクワで娘が生まれた。戦争は終わらなかった」
日常を覆っていく重たい空気を、じっと見据えるために。戦時下の生活を、小さな主語で記したエッセイ集。
「すごい内容でした……。
優しさと、美しさと、生活と、なのにいかんともしがたく戦争であることと、
その感覚がループして胸に迫ります。」
──古賀及子さん推薦
【あとがきより】
……
ウクライナ侵攻がはじまって以来、ニュースにもSNSにもロシアにかんする言説は溢れています。もちろん、多様な意見が飛び交っていることじたいは健全な状況でしょう。でもわたしは目眩を覚えることがたびたびありました。
たいていの議論では「ロシア」か「ウクライナ」が主語にされて話が進められていくからです。大統領や政府高官の言動ばかりが取り沙汰され、現地のひとびとが置き去りにされているように感じていました。たしかに、ロシアやウクライナの市井のひとが当事者としてとりあげられることはあります。しかしその場合でも、境遇の過酷さは伝わってきても、ひととなりや感情の機微まで細かく描写されることはほとんどありません。それに、モスクワにはまるで「ロシア人」しかいないかのように思われている発言を目にすることもよくありました。
わたしはまさに渦中のモスクワにいる。ちょっと外に出れば、今日もだれかと顔を合わせる。それぞれの名前とさまざまな来歴をもったひとたちとのささやかな関わりのなか、小さいけれどひとつの世界をたしかに生きている。それなのに、わたしが暮らしているはずのモスクワは、目に入ってくる言説空間のどこにもない。
そうしたギャップにいつも、なにがほんとうなのか分からなくなり、じぶんの視野の狭さにおそろしくなっていました。それが息苦しさの一因でもありました。
しかしそうやって「わたしにはなにも分からないのだから、なにも言うべきではない」と口を噤んで過ごしているうちに、このような状況だからこそ、とるにたらない日常を書き留めることが大切なのではないか、と気づきはじめました。
……
予感
スイカの歌
越冬
イタリア料理店でボルシチを
カモメの飛ぶ空
暗夜に
あか、あお、きいろ
聖母の右頬
ラリーサとミーチャ
ちいさな靴下
こどもが絵筆をにぎるとき
前へ
あとがき




