三都の落語家

 「落語」という芸能が、いつごろ発生したかについてはいろんな説があります。京の誓願寺の住職で笑話集『醒睡笑』の編者である安楽庵策伝が創始者だという説もあれば、さらに遡って戦国時代の大名がそば近く抱えていた「御伽衆」と呼ばれる文化人を祖とする説もあります。
一般庶民からお金をいただいて噺を聞かせる「落語家」が誕生したのは、今からざっと三百三十年前。別に打ち合わせをしたわけでもないはずなのに江戸、京、大坂の三都でほぼ同時に発生しております。時代の必然…ということだったのかもしれません。
 まず京に露の五郎兵衛、江戸に鹿野武左衛門が現れ、少し遅れて大坂に米沢彦八が登場してプロの落語家としての活躍をスタートしています。
江戸ではすぐに屋内に入って、お座敷の芸能になりましたが、京、大坂では神社の境内や河原のような繁華な場所で、よしず張りの小屋で演じていました。この屋外で演じられていたということが、上方落語の大きな特色になりました。

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屋外の芸能

屋外ということは、となりで歌を歌っている芸人がいたり、ものを売ったりしています。そんな喧騒の中で道行くお客さんの足を止めさせた上で、噺を聞かさなくてはなりません。そこで、落語家のご先祖たちは、台を叩いて大きな音をたてたり、三味線太鼓をドンチャン囃したりして、道行く人たちの気を引いて注目を集めていたわけです。その様子を桂米朝師は「つまり、叩き売りの要領ですな」と説明しておられます。
 後には上方落語も寄席ができて屋内の芸になるわけですが、屋外の芸能であった遺産は今もちゃんと残っています。上方落語では、「見台」という小型の机と、その前に「膝隠し」と呼ばれる小さな屏風のようなものを置いて演じることがよくあります。そして、見台の上には「小拍子」と呼ばれる小型の拍子木が二本一組で置いてあります。寄席が開場して、最初に高座に上がる新人落語家は見台を右手に持った「タタキ」と呼ばれている張り扇と、左手に持った小拍子で交互にカチャカチャパンパンと叩きながら、
「ようよう上りました私が初席一番叟でございまして、おあと二番叟には三番叟、四番叟に五番叟…」
などという調子で、意味不明の呪文のような文句を大声でしゃべるのが修行のひとつになっています。まさに「叩き売り」の遺産が現代まで伝わっているわけです。
 ただし、この遺産にも存在理由はあって、お客さんのまだ入ってない時間にやるわけですから、表を通りかかったお客さんが「ああ、ぼちぼち始まったんか」と入って来る客寄せの効果がありました。そして、落語家にとっても、叩いている音に負けないだけの大きい声でおしゃべりをする発声の訓練になりますし、叩いてる間は黙っていないといけませんから、自然と間を取る稽古にもなるわけです。現在でもおしなべて上方落語家のほうが東京の落語家より声が大きいのも、屋外の芸だった名残だったわけだと思うのです。

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上方落語と下座囃子

 また、屋外で発生した上方落語が、お客さんを集めるために三味線や太鼓で賑やかに囃していたのが進化して、寄席囃子になりました。今では、東京の寄席にもお囃子さんがおられまして、出囃子や曲芸や手品の伴奏をしておられますが、寄席囃子というのは、元来は関西独特のものだったのです。東京の寄席でお囃子が使われるようになったのは大正時代以降のことでした。
 対して、早くにお座敷に入った江戸落語は、洗練に洗練を重ねて無駄なものをそぎ落としていきます。江戸っ子の美学に「宵越しの金は持たねえ」などという台詞がございますが、幕府のお膝元で、侍と職人の町だった江戸では「やせ我慢をする」のが美学だったのかもしれません。「笑い」についても、ごたごたしたものよりも質素な、無駄のないものを「良し」としていたのです。
 いわば、江戸の文化は「よけいなものをそぎ落とす」美学ではないでしょうか。その行きつく先が、もりそばにツユをちょっとだけ付けて食べるのが粋…という美学にたどりつくわけですね。
対して上方のほうは「使えるもんなら使うたらええがな」と、お好み焼きに焼きそばをのっけてしまおうというモダン焼きといういき方です。
「シャレてシンプルな東京落語」に対して、「派手で陽気で賑やかな上方落語」というパターンは、その発生の時点で、すでにできあがっていたのではないかと思うのです。

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小佐田 定雄

 落語作家。1952年、大阪市生まれ。 77年に桂枝雀に新作落語『幽霊の辻』を書いたのを手始めに、米朝一門を中心に落語の新作や滅んでいた落語の復活、東京落語の上方化などを手がける。これまでに書いた新作落語は、『貧乏神』、『茶漬えんま』、『神だのみ』、『狐芝居』、『マキシム・ド・ゼンザイ』、『雨月荘の惨劇』、『わいの悲劇』、『G&G』など200席を超えた  90年に第7回咲くやこの花賞、95年に第1回大阪舞台芸術賞奨励賞を受賞。  近年は上方落語だけでなく、東京落語や、時には狂言の台本も手がけている。  著書に「落語大阪弁講座」(平凡社)、「5分でらくごのよみきかせ」シリーズ全三巻(PHP研究所)などがある。「桂枝雀爆笑コレクション」(ちくま文庫)の監修・解題を担当。

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