親鸞

阿満 利麿

「悪」こそ真実

親鸞が求め、手にした「信心」とはいかなるものか。時代の大転換期において、人間の真のあり様を見据え、新しい救済の物語を創出したこの人の思索の核心を示す。

親鸞
  • シリーズ:ちくま新書
  • 836円(税込)
  • Cコード:0215
  • 整理番号:886
  • 刊行日: 2011/01/05
    ※発売日は地域・書店によって
    前後する場合があります
  • 判型:新書判
  • ページ数:240
  • ISBN:978-4-480-06588-9
  • JANコード:9784480065889
阿満 利麿
阿満 利麿

アマ トシマロ

1939年生まれ。京都大学教育学部卒業後、NHK入局。社会教養部チーフ・ディレクター、明治学院大学国際学部教授を経て、現在明治学院大学名誉教授、同人誌「連続無窮」主宰。専門は日本精神史。『宗教の深層』『宗教は国家を超えられるか』『法然の衝撃』『親鸞・普遍への道』『歎異抄』『親鸞からの手紙』(以上、ちくま学芸文庫)、『法然入門』『仏教と日本人』『無宗教からの『歎異抄』読解』『日本人はなぜ無宗教なのか』『人はなぜ宗教を必要とするのか』(以上、ちくま新書)、『社会をつくる仏教』(人文書院)、『選択本願念仏集』(角川ソフィア文庫)など著書多数。

この本の内容

人はだれしも存在の不条理や不安を抱えながら生きざるをえない。だからこそ、その人生を心底納得して死んでゆくための物語=宗教が必要とされる。親鸞とは、何よりも、「末法」という大転換期にあって、その時代に生きる人々が切に必要とする新しい「物語」を、仏教の中から引き出した人であった。ひたすらに念仏することを説いた法然の教えを伝承し、なぜ念仏すれば仏になることができるのか、人間の真実に照らし、その根拠を明らかにしようと努めたのである。親鸞の手にした「信心」の全貌を、現代に生き生きとよみがえらせる一冊。

この本の目次

第1章 人と遇う―法然と親鸞(二つの肖像
親鸞と法然 ほか)
第2章 時を問う―「末法」をどう生きるか(「末法」という時代
道綽の「末法」 ほか)
第3章 「称名」と「信心」―なぜ念仏すると救われるのか(「信心」は「仏心」
「まこと」の心 ほか)
第4章 「ともがら」と「われら」―無縁社会を超える道(「あう」
「聚(ともがら)」という恵み ほか)

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