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古典を読む
文章に即して古典を読む

「熟田津に……」の歌を読む

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 和歌をどう読むのか。語句の説明、文法事項の解説、通釈といったことにとどまらない和歌の授業について考えてみたい。

 私は和歌(現代文では短歌)の授業では、一首の中でいちばん大きく変化しているところはどこかを考えさせるようにしている。歌における形象の変化を考えるのである。古典の授業はともすれば教師の一方的な説明によって授業が進行していく。それゆえに、古典で学んだことが現代文の授業にはつながっていかない。同じ「国語」(「国語総合」では同じ教科書に現代文と古典があるにもかかわらず)でありながら、現代文と古典の授業は平行線で、交わることなく進んでいるように私には思えてならない。形象の変化を読むという方法は、現代文と古典の両方で用いることができる。古典で学んだことが現代文でも生かされ、現代文の力が古典にも役立つ、両者の双方向性を目ざすものの一つである。

 『万葉集』の一首をとりあげて、形象の変化を手がかりに歌を読んでみる(歌中の/は形象の転換点を示す)。

 熟田津に舟乗りせむと月待てば/潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな
額田王

●歌の変化を読む

 四句目「潮もかなひぬ」から大きく変わっていると考える。その理由として、三句から四句にかけての時間の経過があげられる。「月」の出を待つ時間、そして「潮」の具合がよくなるのを待つ時間、その時間の経過の間がここにはある。二つ目には、ここで「月」が出、「潮」の具合がよくなるのである。「月」が出る、「潮」の具合がよくなるという変化が、ここには読み取れる。三つ目に、「月」が出ることでの暗から明への変化である。「月」が出ることで、あたりが明るくなるという変化が読める。そして四つ目に、「月」(空)から「潮」(海)への視線の変化があげられる。「月待てば」は、月が出るのを待っているのであるから、視線は空へと向かう。それに対して「潮もかなひぬ」は、海を見ているのだから視線は下へと向かう。上から下への視線の変化がここにはある(これをA案の読みとする)。

 「いちばん大きく変化しているところ」を考えることで、上に述べたような形象の変化が読み取れる。ただ、ここで大事なことは、どこから変化しているかを決めることに目的があるのではない。変化を考えることを通して、歌の内容を読み深めることにねらいはある。この歌の場合、五句目の方が大きい変化ではないかという意見も予想できる。その最大の理由が、四句切れである。そして四句目までは、五/七/五/七という五七調のリズムを刻んでいるが、五句目だけが八音の字余りになっている。字余りになることで調子が変わり、重くゆっくりとした感じをもたらしている。ゆっくりと舟がこぎ出される様子が浮かぶような気さえしてくる(これをB案の読みとする)。

 「いちばん大きく変化しているところ」を考えることから、上に述べたような二つの読みが出されてくる。もちろん、教師の思い通りに生徒から意見が出てくるとは限らない。A案しか出てこない場合もある。その場合は、B案を教師が示してゆさぶりをかけてやればよい。AかBかの議論を通して、単なる通釈に終わらない、歌を読み深めていく授業が追求していけるのである。

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