ちくまの教科書 > 国語通信 > 連載 > 舞姫先生は語る第二回(1/5)
第一回 『舞姫』のモチーフについて
第二回 太田豊太郎の目覚め
第三回 エリス――悲劇のヒロイン
第四回 太田豊太郎と近代市民生活
第五回 『舞姫』の政治的側面
第六回 結末
鈴原一生(すずはら・かずお)
元愛知県立蒲郡東高等学校教諭
第二回 太田豊太郎の目覚め
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鴎外の生い立ち

 人間は環境内的存在であると言われます。では、『舞姫』の主人公・豊太郎の置かれていた環境はどうだったでしょう。作品には極めて簡単にしか書かれていません。地方出身、父親は彼が幼い頃に亡くなり、夫の遺言を忠実に実践した母親の厳しい家庭教育によって育てられた。これもやはり鴎外自身の生い立ちが投影されていると考えられます。

 彼の生地・津和野は、わずか四万三千石の小藩で、親藩の浜田藩と、外様の強国・長州藩に接していました。ですから緊急時には真っ先に争乱の渦中に投ぜられる運命にあります。こうした弱小藩が生き残る道は武力ではなく、文化の力による以外にありませんでした。その一環として教育に力を注ぎました。その中心が天明六(一七八六)年に設立された藩校・養老館でした。漢学は当然のこととして、数学科が設けられていたことは特筆すべきことでしょう。小藩としては過分な程の教育内容をさらに充実させたのが、最後の藩主・亀井茲監(これみ)でした。彼は三河田原藩の家老・渡辺崋山と親交のあった開明派の家老・多胡逸斎と張り合っただけに、保守派ではありましたが、海外の事情に通じた英明な君主でした。彼は医学科の中に蘭医科を加え、さらに国学を設けたのです。これが所謂津和野国学の淵源となったもので、その本質は尊王攘夷にあると言っていいでしょう。攘夷といっても武力で夷狄を打ち払うのではなく、天皇を世界の中心に据え、世界中を従わせるというもので、決して排外的なものではありませんでした。むしろ世界に門戸を開き、先進文明を積極的に取り入れる和魂洋才という考えであったと言えるでしょう。もうひとつの特徴は「本を探りて隠れたるを顕し」という本源遡行の精神です。これは養老館の学則に簡明に書かれています。

 長々と書いて来ましたが、それは鴎外の思考の枠組みがここで形成されたということを言いたかったのです。

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