ちくまの教科書 > 国語通信 > 連載 > 舞姫先生は語る第三回(1/5)
第一回 『舞姫』のモチーフについて
第二回 太田豊太郎の目覚め
第三回 エリス――悲劇のヒロイン
第四回 太田豊太郎と近代市民生活
第五回 『舞姫』の政治的側面
第六回 結末
鈴原一生(すずはら・かずお)
元愛知県立蒲郡東高等学校教諭
第三回 エリス――悲劇のヒロイン
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エリスの正体は?

 鴎外は面食いであったと言われています。最初の妻・登志子との離婚原因がそこら辺にあったという人もいるくらいです。『舞姫』中で、エリスは次のように描写されています。

年は十六、七なるべし。かむりし巾を洩れたる髪の色は、薄きこがね色にて、着たる衣は垢つき汚れたりとも見えず。我が足音に驚かされてかへりみたる面、余に詩人の筆なければこれを写すべくもあらず。この青く清らにて物問ひたげに愁ひを含める目の、半ば露を宿せる長き睫毛に覆はれたるは、何故に一顧したるのみにて、用心深き我が心の底までは徹したるか。

 昨年、エリスに関する注目すべき論文が発表されました。山崎國紀氏の論文「鴎外の恋人は『賤女』だった」(「文藝春秋」二〇〇五年六月号)です。

 鴎外がドイツ留学を終えて帰国したのは明治二十一(一八八八)年九月です。その四日後に「エリス」が来日し、一カ月ちょっと滞日して帰国したのはよく知られたことです。そのときの様子は、妹・喜美子の証言によれば、前述のとおり何の愁いもなく満足して帰って行ったと言うのですが、今回発見された小池正直(鴎外の東大医学部の同期生、明治二十一年から二十三年までドイツ留学)の石黒忠悳に宛てた明治二十二(一八八九)年四月十六日付けの手紙によれば、それは事実ではないことになるというのです。そこには、「兼而小生ヨリヤカマシク申遣候伯林賤女之一件ハ能ク吾言ヲ容レ今回愈手切ニ被致度候是ニテ一安心御座候」(「今回、彼女は私の言葉をよく受けてくれたので、いよいよ手切れになると存じます。これで一安心です。」山崎氏による意訳)とあり、「伯林(ベルリン)賤女」とは、エリスのことだというのです。もしこれが正しいとすれば、エリスは納得して帰国したのではなく、ドイツへ帰国後、小池の尽力によって明治二十二年四月になってようやく決着を見たことになります。

 「賤女」とは、「卑しい女」という意味で、下層階級の人間を指す言葉です。無論、特殊な職業の女性も含まれるでしょう。「伯林賤女」というシンボリックな表現は、関係者の間では共通認識があったことを示していると考えられます。豊太郎とエリスの出会いの場面を見れば、この説もなるほどと思えます。

 また、この「伯林賤女」は、当時の陸軍軍医総監・橋本綱常の息子でやはりドイツに留学していた橋本春規と関係のあった女性ではないかという説も提示されています。「伯林賤女」がエリスであると断定するには材料が不十分であり、これからの調査研究を待ちたいと思います。

 本題に戻ります。『舞姫』のヒロイン・エリスは、確かに「賤女」でしょう。屋根裏部屋住まいの日々の食事にも事欠く生活、そのために学校さえろくに行っていない。職業は劇場の踊り子、当時のベルリンでは売春婦と同一視された存在で、社会的地位も低く、正に「賤女」でした。

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