ちくまの教科書 > 国語通信 > 連載 > 舞姫先生は語る第三回(3/5)
第一回 『舞姫』のモチーフについて
第二回 太田豊太郎の目覚め
第三回 エリス――悲劇のヒロイン
第四回 太田豊太郎と近代市民生活
第五回 『舞姫』の政治的側面
第六回 結末
鈴原一生(すずはら・かずお)
元愛知県立蒲郡東高等学校教諭
第三回 エリス――悲劇のヒロイン
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エリスの面影

 鴎外に『うた日記』という作品があります。日露戦争従軍中に作った詩歌俳句を集めたものですが、その中に「扣鈕(ぼたん)」という有名な詩があります。

南山の たたかひの日に
袖口の こがねのぼたん
ひとつおとしつ
その扣鈕惜し
べるりんの 都大路の
ぱつさあじゆ 電灯あをき
店にて買ひぬ
はたとせまへに
えぽれつと かがやきし友
こがね髪 ゆらぎし少女(をとめ)
はや老いにけん
死にもやしけん
はたとせの 身のうきしづみ
よろこびも かなしびも知る
袖のぼたんよ
かたはとなりぬ
ますらをの 玉と砕けし
ももちたり それも惜しけど
こも惜し扣鈕
身に添ふ扣鈕

 南山の戦闘のときに、二十年前の独逸留学中ベルリンで買ったカフスボタンの一つを紛失してしまった。それは失われてしまった沢山の兵隊の命よりも惜しいといいたげな内容です。「こがね髪 ゆらぎし少女」というフレーズは、特定の女性を指すのではなく、彼の青春の象徴と受け取るべきだという説もありますが、やはりエリスのことだと思います。カフスボタンの一つが失われて「かたはとなりぬ」と言っていますが、エリスと二人で買った思い出の品が失われてしまったことへの深い喪失感が伝わって来ます。「身に添ふ扣鈕」という句でこの詩は終わっていますが。何と官能的な表現でしょう。彼はこれを身につけることでエリスの息吹を感じ続けて来たのではないでしょうか。鴎外の長男・於菟(一八九〇―一九六七年)は、この詩に関して次のように書いています。

 この「黄金髪ゆらぎし少女」が「舞姫」のエリスで父にとっては永遠の恋人ではなかったかと思う。エリスは太田豊太郎との間に子を儲け仲を裂かれて気が狂ったのであるが、父にもその青年士官としての独逸留学時代にある期間親しくした婦人があった。私が幼時祖母からきいた所によるとその婦人が父の帰朝後間もなく後を慕って横浜まで来た。これはその当時貧しい一家を興すすべての望みを父にかけていた祖父母、そして折角役について昇進の階を上り初めようとする父に対しての上司の御覚えばかりを気にしていた老人等には非常な事件であった。親孝行な父を総掛かりで説き伏せて父を女に遇わせず代わりに父の弟篤次郎と親戚の某博士とを横浜港外の船にやり、旅費を与えて故国に帰らせた。
 一生を通じて女性に対して恬淡に見えた父が胸中忘れかねていたのはこの人ではなかったか。私ははからず父から聞いた二、三の片言隻語から推察することが出来る。
『歌日記』の出たあとで父は当時中学生の私に「このぼたんは昔伯林で買ったのだが戦争の時片方なくしてしまった。とっておけ」といってそのかたわの扣鈕をくれた。歌の情も解さぬ少年の私はただ外国のものといううれしさに銀の星と金の三日月とをつないだ扣鈕を、これも父からもらった外国貨幣を入れてある小箱の中に入れた。私はまたある時祖母が私にいうのを聞いた。「あの時私達は気強く女を帰らせお前の母を娶らせたが父の気に入らず離縁になった。お前を母のない子にした責任は私達にある」と。(『父親としての森鴎外』森於菟 筑摩書房)

 於菟は、鴎外の最初の妻・登志子との間に産まれた子で、登志子との離婚後も鴎外の元で育てられていました。鴎外は家庭人として申し分のない人で、すべての子供たちに平等に接していました。しかし、於菟に対して注ぐ愛情は特別でした。それはこうした事情もあったからでしょう。特に「祖母」つまり、鴎外の母・峰子の謝罪の言葉はエリスを追い返した当事者であるだけに重く響きます。

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