新・風景論 ─哲学的考察
なぜ「美しい風景」にスマホのレンズを向けるのか? 風景を眺めるとは何をすることなのか? 西洋精神史をたどり、本当の意味における風景の経験をひらく。
川越、祇園、白川郷…。不自然なまでに「和風」に統一された風景。その実態は、本当の意味における風景の経験を閉ざす「和風テーマパーク」にすぎない。本書では、「風景を眺めるとは何をすることなのか?」という問いを、西洋精神史をたどりながら、哲学的な観点から考える。美しいだけの絶景を求めていても、風景の秘密には到達できない。風景に出会い、風景の秘密に到達する道をひらく。
第1章 風景の「日本的」性格を再定義する
第2章 「絶景の美学」の系譜学(第一段階:landscapeという名詞が作られる
第二段階:picturesqueという形容詞が作られる
第三段階:イギリス風景式庭園が誕生する
第四段階:風景の観念が生れる
第五段階:風景論の過激派が登場する
第六段階:ピクチャレスクの反作用的性格が顕著になる)
第3章 「閉じた庭」あるいは「楽園」としての絶景
第4章 地平だったもの
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