輸入学問の功罪 ─この翻訳わかりますか?
権威主義は文体に宿る。
日本語として問題のある思想・哲学書の翻訳が放置されてきたのはなぜなのか。日本の翻訳文化に今、メスを入れる!
頭を抱えてしまうような日本語によって訳された思想・哲学の翻訳書の数々。それらが生み出された歴史的背景にメスを入れ、これからの学問と翻訳の可能性を問う。
- シリーズ:ちくま新書
- 792円(税込)
- Cコード:0200
- 整理番号:637
- 刊行日:
2007/01/09
※発売日は地域・書店によって
前後する場合があります - 判型:新書判
- ページ数:240
- ISBN:978-4-480-06342-7
- JANコード:9784480063427
- 在庫 ×
難解な思想・哲学書の翻訳に手を出して、とても理解できないと感じ、己の無知を恥じ入る。そんな経験はないだろうか。読者をそのように仕向ける力の背後には、じつは日本の近代化における深刻な問題が控えているのである。カント、ヘーゲル、マルクスの翻訳の系譜とそこに反映された制度的拘束をあぶり出し、日本の学問と翻訳の可能性を問う。
序章 思想・哲学書の翻訳はなぜ読みにくいのか
第1章 『資本論』の翻訳
第2章 ドイツの近代化と教養理念
第3章 日本の近代化の基本構図
第4章 ジャーナリズムとアカデミズムの乖離
第5章 輸入学問の一断面―カントとヘーゲルの翻訳
第6章 翻訳とはなにか
2017.12.06 KKR
私自身も外国語の翻訳に携わったことがありまして、その経験もあって本書に感銘を受けました。
私自身は思想・哲学の専門ではなく、社会言語学を専攻しておりますが、本書の問題意識には共感する部分が多々ありました。翻訳を論じる書籍には著者個人の好みの押し付けのような印象を持つことが多いもののですが、本書は翻訳をめぐるより根本的な課題に取り組んでおられるように感じました。書店で偶然に見つけて購入したので威張れたものではないのですが、私としても勉強になるところが多く、よい読書体験をさせていただきました。
とりわけ、第 6 章『翻訳とはなにか』において、乱数発生テストを例に出して翻訳の硬直性を論じておられる箇所が記憶に残っております。著者も論じておられるように、このような硬直性が受験勉強という抑圧的な制度の負の側面である点は大いに賛同するところです。個人的には、古文の現代語訳にもその傾向が(より著しく)見られるのではないか、などとも考えました。
2007.1.22 金東秀
112ページの記述「中でも1876年の伊勢暴動は5万人以上が処刑されるという酸鼻をきわめる結末を迎えた。」は、5万人が殺された、という意味で筆者は使っているように読み取れる。ここで「処刑」というのは、「なんらかの刑に処せられた」ということ、いまの言葉では「処分」というほどの意味で史料によると、死刑にされたのは、1人ということです。
2007.1.19 若生敏由
思想は普及しなければ意味がない。それが外来のものであるなら、内容や価値を優先して、一般に咀嚼される用語と文体であることが求められる。それなのに、従来の思想系の翻訳はだれのためのものであるのかと思うほど敷居の高いものが多かった。『輸入学問の功罪』は、「教養」や「近代化」の問題を顧みながら、翻訳家に求められる言語意識という面での責任を強く求めようとしている。外来の思想や語学にかかわる全ての人の誠実な反応があることを期待したい。
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