ちくまの教科書 > 国語通信 > 連載 > 舞姫先生は語る第一回(2/6)
第一回 『舞姫』のモチーフについて
第二回 太田豊太郎の目覚め
第三回 エリス――悲劇のヒロイン
第四回 太田豊太郎と近代市民生活
第五回 『舞姫』の政治的側面
第六回 結末
鈴原一生(すずはら・かずお)
元愛知県立蒲郡東高等学校教諭
第一回 『舞姫』のモチーフについて
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豊太郎は鴎外だ!

 『舞姫』を面白く読む秘訣、それは、出来る限り作者である鴎外に引き付けて読むことということです。漱石の『こころ』にも同じようなことが言えます。俗っぽく言えば、人間には他人のプライバシーをのぞき見したいという心理が存在します。週刊誌などはそれで成り立っていると言ったら言い過ぎでしょうか。「K」も「先生」も、漱石が頭の中で捻り出した人物ではなく、彼らが漱石自身だとしたら、俄然面白くなるでしょう。

 『舞姫』も同様、というよりこれこそが本命、太田豊太郎は九〇パーセント森鴎外です。この作は決して鴎外の想像力の産物ではなく、生涯にわたって彼の心に生き続けた実在の女性・エリス(「エリス」のモデルになった女性については諸説ありますが、本稿では作中の「エリス」と同名で記します)にまつわる彼の思いを描いたものなのです。

鴎外のドイツ留学とエリス事件

 明治二十一(一八八八)年九月八日、足掛け五年の留学を終え、鴎外は横浜に帰着します。それから一週間も経たない九月十二日、ドイツからエリスという女性が彼の後を追って来日したという事実があります。鴎外が列車でベルリンを出発したのは七月五日、マルセイユから乗船したのは七月二十九日のことです。当時、彼の直接の上司であった軍医監・石黒忠悳(ただのり)に随行しての帰国の旅でした。これを石黒の日記に拠って検討してみると、明治二十一年七月五日の記述に「車中森ト其情人ノ事ヲ語リ爲ニ愴然タリ後互ニ語ナクシテ假眠ニ入ル」(「鴎外全集」第三八巻・月報 岩波書店)とあり、また、同月二十七日の記述に「今夕多木子報曰其情人ブレメンヨリ獨乙船にて本邦ニ赴キタリトノ報アリタリ」(同)とあります。鴎外はエリスのことを上司に報告したのです。「多木子」とは、鴎外の本名・森林太郎の名の中に「木」が五つと、たくさんあることから彼のことをぼかして、そのように呼んだのです(鴎外自身、八歳の時「五木童記」と署名している)。つまり、鴎外の「情人」が、日本へ行くために鴎外たちとほぼ同時期に船に乗ったというのです。それも、後を追ったのではなく、彼女の方が早く出航したのです。到着したのは鴎外たちの方が早かったのですが、これは問題ではないでしょう。追いかけたのならともかく、ほぼ同時に出発しているのは、二人の間に何らかの合意があったと考えるのが妥当なところでしょう。

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