増補 敗北の二十世紀

市村 弘正

廃墟の時代を見つめて

人間の根源が危殆に瀕するほどの災厄に襲われた二十世紀。知識人たちの応答とわれわれに残された可能性に迫る省察の結晶。
【解説: 熊野純彦 】

増補 敗北の二十世紀
  • シリーズ:ちくま学芸文庫
  • 1,100円(税込)
  • Cコード:0110
  • 整理番号:イ-36-1
  • 刊行日: 2007/11/07
    ※発売日は地域・書店によって
    前後する場合があります
  • 判型:文庫判
  • ページ数:224
  • ISBN:978-4-480-09103-1
  • JANコード:9784480091031
市村 弘正
市村 弘正

イチムラ ヒロマサ

法政大学法学部教授。思想史専攻。著書に『増補「名づけ」の精神史』(平凡社ライブラリー)、『標識としての記録』(日本エディタースクール出版部)、『増補 小さなものの諸形態』(平凡社ライブラリー)、『この時代の縁で』(吉増剛造氏との共著、平凡社)、『読むという生き方』(平凡社)、『社会の喪失』(杉田敦氏との共著、中公新書)など。

この本の内容

記憶の想起を困難にし、経験の在りようを根底から変えるほどの破壊。区別という概念を無効にする絶対性の侵蝕。言葉のうちにいやおうなく刻まれた無数の傷痕…。二十世紀が直面した光景とはそのようなものであった。この未曾有の苦難は、アーレント、シュミット、ツェランら、知識人たちの応答にいかなる形姿をもたらしたのであろうか。本書は、“赤裸々なリアリティとの恐るべき衝突”によって作動した彼らの思考経験を跡づけると同時に、われわれに残された可能性を照らし出す、省察の結晶である。文庫化にあたり、新たに三篇を増補。

この本の目次

記憶の縁―序にかえて
1 概念の物語
2 非正規性の空間
3 「残された」言葉
4 敗北の記憶
付論(時代認識に関する一考察―一九二〇年代の「発見」をめぐって
「文献学的な知」に向けて
丸山眞男における「恐怖」
ベケットの小さなポリティクス)

読者の感想

2010.1.11 シマダ

この著者が「東アジアの100冊」の日本の26冊の中に選ばれている事を知りました。選ばれてた「小さなものの諸形態」って、もとは筑摩から出てたんでしょ。どうして手放したのですか。それと、なぜ本書じゃなかったのかな。この二点が疑問ですが、どちらも読んで感動しました。選ばれた事に納得です。

2009.5.04 ひとみ

ちょっと恥ずかしいのですが、この本について知り合いの韓国の編集者から教えられました。彼は仲間たちと本書の著者の本を日本語で読んでいるそうです。今まで知らなかった私は、彼の「すごい思想家だよ」という評価に驚いて慌てて本書を読んでいるところです。不勉強で恥ずかしいです。

2009.4.22 ピコ

ゼミの教授が「アガンベンの「例外状態」とかに近い議論だけど、この本のほうが早いんだよ」って言ってたので、興味を持ちました。私には少し難しいところもあったけど、考え抜かれてるのは分かって、教授が「日本にもこういう思想家はいるんだ」って言ってた意味が理解できたように思います。

2009.2.22 さとる

「知る人ぞ知る」の代表みたいな著者だが、この思想家はもっと読まれるべきだと思う。本書は著者には珍しく書き下ろしなので、著者独自の思考のリズムや息つぎが良くわかる。鶴見俊輔がどこかで「この本によって20世紀ヨーロッパの問題が、初めて私たち自身の問題として着地した」と評していたが、熟読して納得した。知られざる傑作!

2009.1.01 ナオキ

著者の思考と文体は、前に読んだ著書で知っているつもりでいたが、本書でその思索の強靭さを改めて思い知らされた。現状に著者が殆ど絶望していることは明らかだが、いつでも微かな明るさが感じられる。それが思索と表現の持続する強靭さに拠ることを本書で確認できたように思う。無駄な文章は一行もなかった。

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