すべての芸術はつねに音楽の状態にあこがれる ウォルター・ペイター全集 富士川義之編 全3巻
美の理念の追求に生涯をかけた19世紀末の英国の批評家、ウォルター・ペイターの文業の集成。芸術としての批評、いわゆる創造的批評を開花させた名高い処女作『ルネサンス』をはじめ、英文学に関するエッセイを集めた『鑑賞批評集』、ギリシア神話や悲劇に題材を得た『ギリシア研究』などの批評作品のほか、ローマ帝政時代を舞台にした『享楽主義者マリウス』など長・短編小説6篇を盛り込んだ初の翻訳全集。
*造本・体裁 A5判・上製・貼函入 本文12・5級 平均600頁 装幀=神田昇和
批評にも文体の快楽があることをはじめて実地に教えてくれたのは、ウォルター・ペイターである。こまやかに磨きあげられた語が、語句が、文章が結びあって、そこには奥ぶかく典雅な輝きが作りだされる。そして文体はひとり歩きするのではなく、繊細な批評的思考の襞とみごとに溶けあう。ひからびた客観性の重圧をかわして、客観的対象をたしかに見通した上で、そこで魅惑される内面の精妙な動きに分けいる批評文学のスリリングな面白さは、『ルネサンス史研究』、『プラトンとプラトン哲学』を読まなければ、たぶん知る機会はなかっただろう。小説の面白さもまた、人物の内面の微妙な気息を書きわける至芸から来る。ペイターを身近に感じつづけてきたのは、同じ時代のフランスの文学と同質のものを読みとっていたからだろうか。富士川義之氏を中心にして、新しく編まれる全集で、ペイターを読む快楽を新たにできる日が楽しみである。 (フランス文学者)
ウォルター・ペイターを「創造的な印象主義批評家」と呼んだのはオスカー・ワイルドである。世紀末に唱えた「芸術としての批評」の祖として、ペイターを尊敬しての言である。ワイルドは作品のみならず生活態度にまで影響を受けたが、わが国でも大正期の作家や三島由紀夫に至るまで、その及ぼした影響は計り知れない。それはペイターが扱った問題が、文学や美術の批評ばかりか、哲学や文明批評、時代思潮や宗教など広範囲に及びそれがギリシア、イタリア、フランスを網羅し、一批評家としての範疇をはるかに越えているからであろう。「自分の目を信ぜよ、具体的な経験にいつも正しくあるように努めよ。自分の印象に忠実であれ」と、美の抽象的な定義よりも、美が実際にそのとき見る者に与える印象を重んじ自らも創作した。美の印象を生みだす力を「炎のような想像力」(flame-likeimagination)と言ったが、私の心には、いつもペイターのこの言葉が響いている。 (明星大学教授)
富士川義之
日本には明治以後少数ながらつねに熱心なペイター愛好家たちがいた。上田敏や平田禿木に始まる日本のペイターリアンたちはもっぱらペイターの美文調、美の宗教、世紀末的頽唐趣味に陶酔する。ペイターと言えば、そういう類型化したイメージを思い描くのがほとんど通例となってきた。それはそれで必ずしも意味がないわけではない。だが、編者としては、詩集『失われた時』において、「永遠の瞬間の限りない/悲しみと失念のエピファニアの/ペイターのジョイスの」と書いて、ペイター文学の根幹をなす瞬間の美学への関心を、ジョイスのエピファニーと結びつけることによって、二十世紀モダニズムの先駆者としてのペイター理解を示した西脇順三郎に従いたい。ペイターは単に世紀末文学・芸術と結びつくのみならず、モダニズム文学の底流を照し出す光源のような役割を果たしているからだ。そのような彼の作品を平易な日本語訳で読むことが可能になった、日本で最初の本格的なペイター全集の刊行をよろこびたい。
ウォルター・ペイター全集 1
ルネサンス
ピコ・デルラ・ミランドラ/サンドロ・ボッティチェルリ/ルカ・デルラ・ロッビア/ミケランジェロの詩/レオナルド・ダ・ヴィンチ/ジョルジョーネ派/ジョアシャン・デュ・ベレ/ヴィンケルマン他(富士川義之訳)
想像の肖像
宮廷画家の寵児/ドニ・ローセロワ/セバスティン・ファン・ストルク/ローゼンモルトのカール大公(菅野昭正他訳)
雑纂(抄)
家の中の子供/エメラルド・アスワート/北イタリアの美術ノート/ヴェズレー/ラファエルロ/唯美的な詩/プロスペル・メリメ/パスカル他(玉井暲他訳)
「ガーディアン紙」の書評集(抄)
アミエルの日記/フェルディナン・ファーブル/ワーズワス/ブラウニング/ロバート・エルズミア他(海老根宏他訳)
未収録のエッセイ集(抄)
シモンズ著『イタリア・ルネサンス』/ギュスターヴ・フロベールの生涯と手紙/オスカー・ワイルド氏の小説/美術批評家としてのジョージ・ムア氏/神学者としてのコールリッジ他(河村錠一郎他訳)
ウォルター・ペイター全集 2
ギリシア研究
ディオニュソス研究/デーメテールとペルセポネーの神話/ギリシア彫刻の起源ほか(富士川義之訳)
プラトンとプラトン哲学――講義集
プラトンと運動の理論/プラトンとソクラテス/プラトンの天才他(澤井勇訳)
鑑賞批評集
文体について/コールリッジ/チャールズ・ラム/シェイクスピアのイングランド国王たち/ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ他(前川祐一他訳)
ウォルター・ペイター全集 3
享楽主義者マリウス(工藤好美訳)
ガストン・ド・ラトゥール(土岐恒二訳)
ウォルター・ペイター全集 3
定価:本体18,000円+税
ウォルター・ペイター全集 2
定価:本体15,000円+税
ウォルター・ペイター全集 1
定価:本体15,000円+税
ウォルター・H・ペイター
(1839~94)
医者の息子としてロンドンに生まれる。幼少時に両親を亡くし、オックスフォード大学卒業後は、母校の特別研究員としてほとんど外界との接触を持たずに生涯独身で過ごす。1866年頃から文芸・美術批評を発表しはじめ、1873年に『ルネサンス』を刊行、その後も新聞や文芸誌を中心に数多くの批評作品を寄稿した。その徹底した唯美主義は、ワイルド、イェイツ、ジョイス、ウルフなど後続の作家に少なからぬ影響を与えたほか、日本では上田敏、平田禿木から堀辰雄、西脇順三郎、中島敦、吉田健一、工藤好美、中村真一郎にいたる文人たちに愛読された。近年では英米の脱構築批評の先駆者としても新たな脚光を浴びている。