反〈絆〉論
〈絆〉は美しい言葉だからこそ暴力が潜んでいる
東日本大震災後、列島中がなびいた〈絆〉という価値観。だがそこには暴力が潜んでいる? 〈絆〉からの自由は認められないのか。哲学にしかできない領域で考える。
東日本大震災後、絶対的価値となった“絆”という一文字。テレビは「優しさ」を声高に称揚するようになり、列島中がその大号令に流されて、権威を当然のものとして受け入れてしまったかに見える。だが、そこには暴力が潜んでいないだろうか。陰影のある、他の「繊細な精神」を圧殺する強制力がはたらいているのではないだろうか。哲学にしかできない領域から“絆”からの自由、さらに“絆”への自由の、可能性を問いただす。
第1章 “絆”は重苦しい
第2章 “絆”は有益である
第3章 組織における“絆”
第4章 (なるべく)他人に同情しない
第5章 (自他の)孤独を尊重する
第6章 生命は最高の価値か?
第7章 “絆”からの自由・“絆”への自由
付録(美談が覆う真実もある(東京新聞)
『がんばろう日本』という暴力(新潮45)
「いい人」だからこそ陥る「みんな一緒主義」(児童心理))
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