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9/10開講「大人のためのメディア論講義 第1回」講師:石田英敬先生(東京大学大学院総合文化研究科教授)

事務局より、こんな講座です

 タブレットやスマホのおかげで便利なことも多いけれど、自分の生活から手ごたえが失われたような気がして、なんだか不安…。石田先生の講義をうけて、そんな気分に言葉を与え、抽象的にとらえる手がかりを見出せた気がします。このご時世、やはり人文知にもっと磨きをかけないと! 
以下、講義で印象に残ったお話を書きとめますので、第二回以降に参加される方々の参考になればと思います。

 現代はあまりにも高度にメディア化(記号化)されています。知の世界は文字メディアの世界で完結してしまいがちです。その一方で、広告会社をはじめとした“意識を成り立たせる産業”の支配力が圧倒的になっています。世界を認識し、現状改善の方向性を指南するはずの「知の巨人」が力を失い、「知の小人」としての個々人が各々のディスイをのぞきこみ、連絡を取り合っているのです。

 そもそも、文字が発明されたときから人間は、自分の外部に現実を委ねてきました。石田先生がプラトンを引用して論じたのが、ソクラテスによる文字(メディア)批判です。文字を発明した神にとって文字は、「物憶えがよくなる」はずの「記憶と叡智の秘訣」です。だけれども、文字以前の世界に住む人間にとっては、「物事を自分以外のものに刻み付けられたしるしによって外から思い出」し、「我が力によって内から思い出す」ことをしなくなるドラッグでしかない、とのことでした(秘訣=ファルマコンには「薬」と「毒」両方の意味があるそうです)。「知りたいことはWEBで検索すればなんでもわかる」とばかり検索エンジンやクラウド上の記録サービスに頼りきり、なにかを記憶しようとすることのめっきり減った私たち。しかもそれは「しるしによって外から思い出す」ドラッグ漬けの生活なのだと、痛感しました。
先生はメディアの「忘却装置」としての側面も強調されます。メディアは発達すれば発達するほど、<記憶の装置>から<忘却の装置>に転換するのです。第二回はメディアによって記憶が拡張されることの意味といったあたりから再開し、「メディアの時間」「文字のテクノロジー革命と「新しい〈記号の学〉」とお話が続くことと思います!(前回分のレジュメも用意しています。一回ごとにお話は完結していますので、途中からでも無理なくご参加いただけます)

過去の講座風景

  • 2016/6/18開講 歌舞伎座×ちくま大学「江戸食文化紀行」 講師:飯野亮一先生(服部栄養専門学校理事・講師)
  • 21世紀の資本主義を考える ーピケティブームを超えて 講師:仲間浦達也先生(中央大学名誉教授)
  • 9/10開講「大人のためのメディア論講義 第1回」講師:石田英敬先生(東京大学大学院総合文化研究科教授)
  • 6/27開講「メディアではわからないグローバル経済の実態」講師:福田邦夫先生(明治大学商学部教授)