志をデザインする


 二人の根っこに共有できているものに、たとえば福澤諭吉的メンタリティというのがあります。私たちは接点なくここまで生きてきたのですが、対話をしてみると、「志」の部分に共通するものがあって、根っこが似かよっています。あるいは、「思い」というか「パッション」が共通すると言ってもよいかもしれません。人とクリエイティブなよい関係を築いていきたいという「思い」、学びたいという人に地図を手渡したいという「思い」、意欲のある人に対して手助けになりたいという「思い」、先々の日本に対する心配、そうした心配を軽減することにできるだけ貢献したいという「思い」。そうした「思い」は、福澤諭吉(一八三四―一九〇一)が幕末から明治維新を生きるときに感じた不安や、思い、パッション、使命感と重なるところがあると思います。
 二人の共通する「思い」を一言で表現すれば、「私塾願望」と言えます。志を同じくする仲間と熱く語り合い、学びたい。中心には信頼できる人格と力量を併せ持った師がいてくれる。そんな私塾的空間で学びたいという願望があると同時に、自分もまた、「私塾」を開いて若者と熱い学びの祝祭を味わってみたいという願望も持っています。
 師弟関係、塾生同士の関係を「私塾的関係性」と呼ぶとすると、この関係性は現代においては、もっと広がりをもって捉えることができる。少人数の、直接同じ空間を共有する関係だけでなく、インターネット空間でも「私塾的関係性」は成立し得る。そんな可能性を、梅田さんの構想から感じました。
「私淑する」という学び方が私は好きです。直接会ったことはなくとも、師として仰ぎ、学ぶ。そんな素直な学ぶ心の構えが「私淑する」関係にはあります。
 学ぶための条件が飛躍的に改善された今、学ぶモチベーションの強弱によって、学習の格差は拡がってしまう。だからこそ、今、「私塾」というコンセプトを強調する意味がある。そう思っています。私淑ならば今すぐできる。私塾的空間もどこでも現出できる。
 これが、梅田さんと私の世の中への提言が、「私塾のすすめ」となった所以です。


齋藤孝(「はじめに」より)

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