考えあう技術 ─教育と社会を哲学する

苅谷 剛彦 著 , 西 研

「ゆとり教育」から「学びのすすめ」へ、文教方針が大転換した。この間、忘れられた、「学び」と「教え」の関係性について、教育社会学者と哲学者が大議論する。

考えあう技術 ─教育と社会を哲学する
  • シリーズ:ちくま新書
  • 858円(税込)
  • Cコード:0237
  • 整理番号:522
  • 刊行日: 2005/03/07
    ※発売日は地域・書店によって
    前後する場合があります
  • 判型:新書判
  • ページ数:272
  • ISBN:4-480-06222-X
  • JANコード:9784480062222
苅谷 剛彦
苅谷 剛彦

カリヤ タケヒコ

1955年東京生まれ。東京大学大学院教育学研究科修士課程修了。ノースウエスタン大学大学院博士課程修了、Ph.D.(社会学)取得。現在、東京大学大学院教育学研究科教授。専攻は教育社会学、比較社会学。データの精緻な検証により、教育や日本社会について、鋭く的確な発言をしつづけている。著書に『大衆教育社会のゆくえ』(中公新書)、『知的複眼思考法』(講談社)、『階層化日本と教育危機』(第1回大佛次郎論壇賞奨励賞受賞、有信堂高文社)、『教育改革の幻想』(ちくま新書)、『学校って何だろう』(ちくま文庫)、『教育の世紀』(第27回サントリー学芸賞受賞、弘文堂)ほか。

西 研
西 研

ニシ ケン

1957年鹿児島県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了(社会哲学専攻)。京都精華大学助教授などを経て、現在、和光大学現代人間学部教授。著書に『実存からの冒険』『哲学的思考――フッサール現象学の核心』(ちくま学芸文庫)、『ヘーゲル・大人のなりかた』(NHKブックス)ほか。

この本の内容

「ゆとり教育」は「学力低下」の事実によって追いやられ、「学びのすすめ」へと方針転換された。さて、では「学び」と「教え」との間に生じる関係性、つまり教師と生徒の間の知識伝達の共有は、どのように起こるのだろうか。本書では「わかる」の現象学的な試みを、教育社会学者と哲学者との間で徹底してつめていく。「いま、なぜ勉学をするのか?」という問いかけから、「私」よりも「公」を重んじようという風潮に疑問を投げかけつつ、個人の自由と社会的平等の両方が成り立ちうる地点をめざして、「ともに考え、わかりあう」みちすじを模索・考察する。

この本の目次

序章 教育と社会を哲学するために
第1章 今なぜ「学ぶことの意味」を問い直すのか(「学ぶことの意味」の変遷
個人のさまざまな自由と「学校へ行くこと」)
第2章 「自由な思考」と「知識の共有」は両立するだろうか(個人の自由と公共の利害について
知識とはどういうものか ほか)
第3章 考えあうこと、理解すること(「わかる」を掘りさげる
役割と責任)
第4章 「学ぶ意味」をどう再生するか

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