ろうと手話 ── やさしい日本語がひらく未来

伊藤芳浩×吉開章

『ろうと手話――やさしい日本語がひらく未来』(筑摩書房)刊行記念対談

自分で自分の言葉を選ぶ、言葉の多様性がある社会へ
第1回

ろう者のコミュニケーションの問題と、やさしい日本語

『ろうと手話』について

伊藤
この度は 『ろうと手話――やさしい日本語がひらく未来』の刊行、誠におめでとうございます。日本語は生活や仕事で使うのですが、個人的には使うのがとても難しい言語だと思っています。日本語は曖昧な使い方をされることが多くありますが、そのような日本語に対して、「やさしい日本語」という概念は斬新であり、注目しています。
吉開
あとからくわしく話しますけれども、私はこれまでやさしい日本語の普及に取り組んできました。この取り組みのなかから、ろう者の方の事情を知って、今回このような本を出すことができました。今日はよろしくお願いします。
── まず、この『ろうと手話』という本についてお話をうかがっていきたいと思います。吉開さん、『ろうと手話』を執筆されたきっかけや経緯を教えてください。
吉開
私は株式会社電通に勤めていまして、初期の頃からネット広告に取り組んでいました。ただ、40歳を過ぎてキャリアの曲がり角を迎えた頃に、外国人に日本語を教える日本語教育と出会いました。「これは面白い」と思って2010年に日本語教師になるための試験に合格をして、Facebook上で世界中の日本語学習者をサポートするコミュニティを立ち上げました。現在、メンバーは57,000人ほどいます。
そのあと、何とか日本語教育に関係することを会社の仕事にしたいと思い、いろいろな企画の試行錯誤を繰り返しました。そのとき、台湾や韓国からのリピーター観光客は日本語学習者がとても多いということ、そして日本で働いている外国の方も日本語を少しは学んでいるということに気がつきました。

そこで、観光や雇用の現場、地域社会の日本人が、外国人にわかりやすい日本語で伝えようという、やさしい日本語に注目しました。2016年に故郷の福岡県柳川市で「やさしい日本語ツーリズム事業」を立ち上げて以来、やさしい日本語の社会啓発に取り組んでいます。
この啓発活動に取り組んでいた2017年頃、偶然TBSラジオの番組を聞いて、手話は日本語とは別の言語であるということ、そして日本語が第二言語だというろう者がいるということ、さらに手話がろう教育で長く禁止されていたということを知り、本当に衝撃を受けました。外国人が日本語を学んだり話したりする過程で どんな間違いをするかというのは、日本語教師ならよく理解できます。でも、それとほぼ同じ理屈で、ろう者が日本語を間違ったり苦手としたりすることがあるということは、全く意識したことがありませんでした。

ここから夢中になって、ろう者や手話について勉強を始めました。私はこれまでに、やさしい日本語についての講演を200回ぐらいしているのですが、必ずろう者の事情について盛り込み、「外国人の日本語に寛容になろうと思っていただけるなら、その気持ちをろう者にも向けてほしい」と締めくくっています。
コロナ禍で講演活動が全てキャンセルになってからは、アスク出版から『入門・やさしい日本語』という書籍を出して、世に広めることにしました。そして、この本に賛同する日本語教師の方々を集めて 「入門やさしい日本語認定講師養成講座」を開講しました。そこで、多くのメンバーから「やさしい日本語だけではなくて、ろう者や手話についてもっと知りたい」という感想をいただきました。そこで一念発起して、さらに勉強を進めて、今回の出版という機会に繋がっています。
── 伊藤さん、『ろうと手話』をお読みになっていかがでしたか。
伊藤
吉開さんは、日本語と日本語を母語としない人たちに着目し、その中でろう者に出会いました。コミュニケーション手段が異なるゆえに理解しづらさがあったものの、多大な努力によって理解を深められ、今回の出版に繋げられたことには敬意を表したいと思います。また 日本語教師のメンバーの方々から、「ろう者や手話についてもっと知りたい」という感想をいただけたのも、大変嬉しく思います。

ろう者にとって、この社会のさまざまな情報が理解しづらいのは、社会の側の障害や障壁が原因であることが多いのですが、そういった現状や、これまでのろう教育の歩み、言語としての手話に関する議論の経緯をまとめたこと、そしてろう者への理解を促すひとつの手法としてやさしい日本語という考え方を提案されたというのは、これまでにない大変画期的な書籍だと思いました
本書籍を通して1人でも多くの方に、ろう者を取り巻く環境、そして言語である手話に関心を持っていただき、多様なコミュニケーションが円滑に行われる共生社会の実現に繋がることを、心から願っています

得られる情報量に差があるという不平等

── ここから、伊藤さんの活動を通して、ろう者のコミュニケーションの問題について具体的にお話をうかがっていきたいと思います。伊藤さんは「インフォメーションギャップ」や「コミュニケーションバリア」の解消に取り組んでいらっしゃいますが、この2つはどのようなものか、教えてください。
伊藤
まずインフォメーションギャップとは、日本語でいうと「得られる情報量に差があること」です。人が持っている情報量が多い/少ないといった格差がある状態です。その結果、情報によって得をする人と損をする人がいて、不平等な状態になります。たとえば、新型コロナウイルスに関する情報がある人とない人では、やはりそこに健康格差が起こる可能性があったりします。
インフォメーションギャップの原因は、情報へのアクセスしやすさ、つまり情報アクセシビリティーが不十分だということが多いです。たとえば、多言語対応です。多言語というのは、外国語だけでなく手話も含まれます。多様性のある社会の皆様に、十分に情報を伝えられるように、多様な情報伝達手段を用意する必要があると考えています。
── コミュニケーションバリアとはなんでしょうか。
伊藤
コミュニケーションバリアとは、日本語でいうと「考えや気持ちを伝えることを邪魔するもの」です。人はさまざまな方法を使って考えや気持ちを伝えますが、相手が理解できる方法でないと、ちゃんと伝えることができません。その原因としては、相互理解の不十分さがあると考えています。具体的には3つ、「無関心」「無理解」、そして「思い込み」があります。
まず無関心についてですが、相手の立場などに関心がないと、結局自分の基準で物事を話してしまうため、そもそも基準が違う相手には伝わりにくいです。また、相手によっては不快な気持ちにさせたり、傷つけてしまったりします。
無理解もよくあります。相手の立場などを十分理解できていないために、やはり自分の基準で物事を話してしまうので、相手に伝わりにくくなってしまいます。
そして、3番目の思い込みとは、相手に対する一方的な思い込み、すなわちアンコンシャス・バイアスというものです。相手の立場などを勝手に推測して話した場合ですね。この場合、双方の認識にずれがあると正しく伝わりません。
ですから、インフォメーションギャップは社会システムの問題であり、コミュニケーションバリアは一人ひとりの心構えの問題だと言えるかもしれません。言語としての手話に対する理解が不十分であることは、どちらの原因にもなりうると考えています。
吉開
まさに私自身も、勉強しながら自分のなかにアンコンシャス・バイアスがあったことに気がつきました。
また、知らなかったこともたくさんありました。「ろう者の方の言語が手話である」ということは非常に衝撃的で、いろんな学びがあったんですが、実はそうではない方も非常に多くいるということも、やはり同時に知っておくべき知識です。
本にも書きましたが、ろう教育の歴史をみると、130年間にもわたって、世界的に手話が禁止された時代がありました。日本のろう教育でも、1933年から手話が禁止されました。そういう状況で日本で生きていたろう者の方々は、手話も十分に定着せず、そして日本語も十分に定着しないという、非常に大変なことになりました。それ以降、さまざまな手話を取り戻す運動もありますが、いろいろな問題が複合化して、一言では言い表せない状況になっています。
『ろうと手話』では、できるだけさまざまな視点から、ニュートラルな立場からこの状況を整理して、世の中に伝えていきたいと考えています。
── ありがとうございます。伊藤さんがインフォメーションギャップやコミュニケーションバリアを意識して、取り組みたいと思ったきっかけは何だったのでしょうか。
伊藤
私自身、インフォメーションギャップとコミュニケーションバリア、この2つがあったために社会で生きていくのに苦労してきました。言い換えると、生きづらさがありました。そして、そんな私を支えてくださった家族、友人、会社の上司、同僚などのおかげで、ここまで歩むことができました。このような支えを、もっともっと社会全体へ広げて、次世代の人々が私たちのようにインフォメーションギャップやコミュニケーションバリアに悩まされることなく、生き生きと活躍できる共生社会になってほしいというのが、大きな動機です。

IGBの取り組みとやさしい日本語の接点

── 伊藤さんが代表を勤められているインフォメーションギャップバスター(以下IGB)の、具体的な活動を教えてください。
伊藤
IGBでは インフォメーションギャップ、そしてコミュニケーションバリアの解消のために、いくつかの分野に分かれて活動しています。ここでは3つ、職場、医療機関、そして家族の分野での活動を紹介します。
職場でのコミュニケーションバリアの解消については、コンサルタントの方を講師に招いて、ろう者のコミュニケーションスキルやプレゼンテーションスキルを向上させたりしています。また、ビジネス分野における障害者の社会進出を推進する世界的な運動「The Valuable 500」や、障害者雇用に取り組む先進的な企業の事例などを学ぶ勉強会などを開催しています。
医療機関においては、手話による医療通訳の推進や普及活動を行っています。具体的には、現状の課題や解決策を議論するシンポジウムの開催、医療用語の手話表出に関するDVD作成、病院で働く手話言語通訳者の全国実態調査、また 医療専門の通訳を養成するカリキュラムの開発などに関わっています。
家族内でのコミュニケーションバリアの解消にも取り組んでいます。本来、大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っている子どもの人権について考える「ヤングケアラー問題」と関連して、聞こえない親を持つ聞こえる子どもであるCODAや、聞こえないきょうだいを持つ聞こえるきょうだいであるSODAのコミュニケーション問題について取り上げたシンポジウムを開催しました。
※1 CODA
Children Of Deaf Adults
※2 SODA
Siblings Of Deaf Adults/Children
家族内のコミュニケーションを円滑化するために、口や表情が見やすい透明マスクの配布を行ったりもしています。
最近では、あらゆる分野に共通する施策として、電話リレーサービスの普及活動を始めました。これは、聞こえない人と聞こえる人を、通訳オペレーターが手話や文字と音声を用いて通訳することにより、即時に双方向に繋ぐサービスです。2021年7月から国主導で始まったのですが、まだまだ社会全体の認知が低く、聞こえない人が知らないということもあって、あまり使われていません。電話をかけた先の聞こえる人が、「これはいたずら電話ではないか」と思い込んだり、不審に思ったりして対応がスムーズにいかないといったことが多くありますので、そういったことをなくそうとしています。
吉開
非常に多様な活動をされていますね。特にコミュニケーションについてフォーカスされていますので、広告会社に勤めている私の活動と非常に親和性が高く、共感する部分があります。
たとえば広告の分野では、テレビCMでも字幕対応をするという動きが本格化しています。実は、外国人の方などで、CMの非常に含蓄のある表現がわからないという方もいらっしゃいます。話している言葉をそのまま字幕対応するということも大事ですが、そもそもそのCMで何を伝えたいのかという情報を、外国人やろう者、他のさまざまな方に対しても保障すべきだと思っています。
まず、音声に頼っている情報を文字化するということ。ここからすべてが始まるのではないかと思います。
さらに、その文字化した情報を、もっとシンプルで、日本語的なニュアンスをできるだけ除いたやさしい日本語にする。そうすると、手話通訳をしやすくなるだけでなく、たとえばAI翻訳を使ってさまざまな言語――英語だけではなく、ベトナム語やネパール語など――にも、非常に高い精度で翻訳ができます。この技術を使えば、役所の情報の発信だけではなくて、民間企業の情報発信、それから情報保障にもプラスになると思います。
「どこでも手話を保障する社会作り」がろう者にとっていちばん重要なポイントだとは思いますが、私は外国人にも同様の多言語化が必要だと考えています。そういった意味では、聴覚障害だけではなく、幅広いインフォメーションギャップに取り組んでらっしゃるIGBさんの存在は、とても大きいと思います。
このときに、もともとある情報に加えて、やさしい日本語でも情報を用意するという考え方を一般的にしたい。この点でIGBさんと連携できれば、我々やIGBさんが理想とする社会の実現のための、大きな投資になるのではないかなと思います。
── その、テレビCMにおける情報の文字化というのは、現在どのような状況にあるのでしょうか。
伊藤
2013年に、聴覚障害者のCM視聴状況について総務省が調べた結果が報告されています。その調査結果によりますと、聴覚障害者のなかで「CMを常に見ている」あるいは「少しでも見ている」という方の割合は3割で、ほとんどCMを見ていないということがわかりました。そのなかには、CMに字幕がついてないからと答える方が多くいました。ここから、「CMをきっかけとする購買の機会が失われているのではないか」「CMに字幕をつけることによって、聴覚に障害がある人たちをさまざまな購買活動に結びつけてほしい」ということで、CMに字幕をつけましょうという活動が始まりました。
吉開
新しい試みですので、費用などいろいろな問題はあります。ですが、昨今のSDGsの、誰も取り残すべきではないという風潮のなかで、さまざまな方にちゃんと情報を伝えようという流れから、テレビCMにもそういう試みが本格導入されようとしているということだと思います。
少し外国人の視点を加えますと、外国人の方も、そもそもテレビを持ってない人もいます。「見てもあまり面白くないから」ということで、実は日本のメディアというのは外国人の方にはほとんど役に立っていないんです。
しかし、2018年の推計(大和総研)によると、国内に住んでいる外国人の消費市場は3兆円あるそうです。2018年といえば、(コロナ禍の前で)まだインバウンド観光が多かったわけですけども、当時のインバウンド観光の市場が4兆5,000億円。実は、国内に住んでいる外国人が、車を買ったりアパートを借りたり保険に入ったりシャンプーを買ったりする、こういう消費活動はインバウンド消費に匹敵するほど、しっかりしたものがあったわけです。しかも、この数字はまだまだ伸びていく可能性があります。3兆円という数字は1人あたり100万円くらいですから、広告を含めて適切に情報を提供すればもっと増えるはずです。
そう考えますと、民間企業がメッセージを伝える上でも、外国人に伝わりやすい日本語というものを考えていく必要があります。
もちろん、ろうの方にとっても、字幕があれば全部いいという話にはなりません。やはり、日本語を苦手とする方もいらっしゃる。外国人もそうですけども、ルビがないと漢字が難しいという方もいらっしゃったりします。まずは情報の文字化、デジタル化を行った上で、さまざまなアウトプットで、それぞれに最適な形で出すということが必要です。
── それによって、外国人やろう者の方たちも、消費を通して社会に組み込んでいけるということですね。

手話を第一言語とするまで

── ここからは、伊藤さんのご経験を通じて、ろう者のコミュニケーションやろう教育の問題について伺っていきたいと思います。伊藤さんは1970年生まれだそうですが、どのような教育を受けていらしたのでしょうか。
伊藤
私はほとんど耳が聞こえません。耳からの情報がほとんど入ってきませんので、目を使って情報を手に入れています。幼少の頃は、日本語獲得に大変苦労しました。京都府立聾学校の幼稚部にいたのですが、当時の教育現場に手話はありませんでした。ですから、日本語の獲得に明け暮れていた記憶があります。
そのときは「キュードスピーチ」という、日本語の50音を、発音の仕方を参考に手の形で視覚的に表現するものを利用して、日本語獲得のための教育を受けました( 動画00:34:44〜、キュードスピーチの説明と実際の手の動き)。家では、ものの名前を書いたカードを家中の全てのものに貼り付けて、その名前を覚えたりしていました。
3歳になると、言語訓練機関に通いはじめました。小学校からは地域の普通の学校に通っていましたが、別の小学校に併設されていた難聴学級にも時々通っていました。ですから、私は成人するまで、手話に出会ったことがありませんでした。「口話」という、口の形や表情を読み取る方法でコミュニケーションをしていたのですが、十分に意思疎通ができたかというと、そうでもないことが多かったように思います。
その後、成人してから、学生たちの集まりで手話がやりとりされているのを見て、「こういうコミュニケーション手段があるのか」と手話に興味を持ち、覚えて今に至っています。
今の私にとって、第一言語は手話で、第二言語は日本語といえます。
吉開
今、伊藤さんが 「第一言語」と「第二言語」とおっしゃいました。言語学では、「母語」と「第二言語」という言い方もあります。母語というのは「母の言葉」ですので、赤ちゃんの頃から、両親の言葉を聞きながら獲得するものという意味で、あまり苦労がなく、自然に喋れるようになるものです。
でも今の伊藤さんの話を聞いていると、獲得した順番で言えば、最初の言語は日本語ですけれども、そのあと努力して学ばれて、今いちばん自然に話せる言葉は手話であるということですね。普通とは順番は逆になるのですが、大人になってから学んだ手話が第一言語だとおっしゃっているのは、非常に感慨深いです。相当努力されたのだなと思いました。
── 大人になってから学んだ手話のほうが、伊藤さんご自身の考えを説明するときに、より適切だと感じられている。その意味で第一言語だということなのでしょうか。
伊藤
はい、そうです。

会社でのコミュニケーションバリア

── 大学を卒業された後は、伊藤さんは一般企業にお勤めだと伺っています。学校から企業に活動の場が移られて、いちばん大きいギャップはどんなことだったのでしょうか。
伊藤
会社の中でコミュニケーションバリアを感じることが多いのですが、その1つに会議があります。話されている内容がわかりませんし、セミナーで講師の話されていることがわからないこともあります。そうすると、たとえば会議で自分の意見を出すことができない。相手の質問がわからないので答えられない。これでは、仕事の機会を作り出すことができなかったりしますし、結局それは評価にも直結するため、給与にも影響していきます。モチベーションダウンにもなってしまいます。
会社にとっては、その人が持っているポテンシャルを生かしきれない、可能性を生かしきれないということです。
こういった会社の中でのコミュニケーションバリアを解消するためには、上司や同僚に、聴覚障害に対する理解を深めてもらい、伝わるコミュニケーションはどういうものかということを知ってもらう必要があります。たとえば、筆談やチャットなどがありますし、音声認識アプリによるサポートなどの導入が必要なこともります。会社の皆さんの理解がまず大切だと思っています。
── 私自身もそうですが、そういったコミュニケーションのための手段を、最初は知らないことが多いと思います。どうしたらその情報を得て、会社のコミュニケーションの環境を良くしていけるでしょうか。
伊藤
そうですね。私の周りで多くの方がトライしていることは、自分の「取り扱い方の説明書」をつくることです。
聴力の程度はどういう具合か、声は出せるのか。あるいは声は出せて、音はある程度聞こえるけれども、皆さんのお話はわからないのか。高い声と低い声、それぞれの聞こえ方はどうか、といった自分の特徴。
そして、「私を呼ぶときは肩をポンポンと叩いてください」「会議のときは、チャットなどを駆使して文章で伝えてほしい」「会議で使う資料は前もっていただきたい」といった自分のニーズ。これらをまとめたものを皆さんに説明する資料を作って、理解を広げていきました。
吉開
今のお話で思い出したことがあります。私たち、耳が聞こえて目が見える者は、「視力が悪くてもメガネをかければ見えるのだろう」と、単純に思っていることが多いです。もちろん視力障害もさまざまですが、特に日本人はメガネをかけている人が多いので、そう思いがちですね。同じように、聴力障害についても「補聴器をつけていれば聞こえるんだよね」と思っている人も多いわけです。近視になったときにメガネをかけると見えるようになるのは事実なので、補聴器も同じだろうというふうに考えてしまう。もしくは、人工内耳という手術を受けて聞こえるようにするということも今ではあるわけですが、それを聞くと「とてもきれいに聞こえるようになるんですね」と勝手に思ってしまいます。
今、伊藤さんが「取扱説明書をつくる」とおっしゃいましたが、聴覚障害があるということは、聞こえる人がイメージするほど簡単なことではないということを、やはり知らなければいけません。
ただ、それを一人ひとりが職場に行って、「私の取説はこうです」という非常に地味な活動は、変な話、言い訳をさせているというか、申し訳ないという気持ちでそういうふうに言わせている部分もあるかと思います。
やはり、こういう障害に関わることについては、学校教育でも社会教育でもいいので、一般常識として知ってもらいたいと思っています。ろう者の事情を知ることについては、『ろうと手話』がそういう役割になることを願っています。

最大のバリアは「無関心」

── 伊藤さんは会社でのお仕事と平行してIGBの活動をされているわけですが、コミュニケーションバリアをなくすという目標に向けて、いちばん大きいバリアになっていることというのは何か教えてください。
伊藤
先ほど、「無関心」「無理解」「思い込み」という3つの要因の話をしました。この3つのなかでいちばん大きなバリアは無関心だと思います。コミュニケーションバリアは、立場や環境が変われば誰もが経験することです。たとえば、言葉が通じない国へ旅行したりすると、立場が逆転してしまいます。電車に乗ったり食べ物を注文したりといった、日常生活で必要な行動の一つひとつにバリアを感じるのではないでしょうか。こういったことを、多くの人は経験することがないので、他人事のように思ってしまうのも無理はないと思います。こういった無関心層にどうやって気づいてもらうかというのが、私どもの活動のメインテーマです。
そのためには、インクルーシブ教育がひとつの方法だと思っています。障害者やさまざまな人がいるということを、小さいときから体験してもらう。つきあって、交流するなかで体験して慣れてもらうことです。
社会の中には、さまざまな立場の、そしてさまざまな言語を使って生きている人々がいるということを、小さいうちから理解していくことが必要だと考えています。今回出版される『ろうと手話』は、そのために活用できるものだと考えています。
── まさに本書の中で、インクルーシブ教育にいたる日本の教育の流れが説明されています。今の大人は学校でそういったことを学べる状況ではなかったので、これから教育自体が変わっていくと本当にいいなと思いました。
吉開
そうですね。小さいときからの教育が大事だということですが、今、学校教育で大きな問題になっているのは、海外にルーツのある子どもたちが大勢クラスにいるということです。こういった状況は各地で増えてきていますが、やはりいろいろな問題が生じています。もちろん言語的な問題もありますが、文化的な違いへの偏見などもあります。
「インクルーシブ」というものが障害者の方々に注目した時代もありましたが、今はもっと大きな意味での多様性を目指すものになるといいと考えています。小学校や中学校で、同じクラスに障害のある子どもや海外にルーツのある子ども、さまざまな人がいるという状況を体験していく、理解していくということが促進されるべきだと思っています。

この対談(たいだん)は、手話(しゅわ)と字幕(じまく)がついた動画(どうが)でも、見(み)ることができます。

吉開章

吉開章(よしかい・あきら)

電通ダイバーシティ・ラボ やさしい日本語プロデューサー。やさしい日本語ツーリズム研究会代表。二〇一〇年日本語教育能力検定試験合格。Facebook上の巨大日本語学習者支援グループ「日本語コミュニティ」主宰。二〇一六年政府交付金を獲得して故郷福岡県柳川市で「やさしい日本語ツーリズム」事業立ち上げ。以降やさしい日本語の社会啓発を業務で行っている。講演・メディア掲載多数。第二言語習得に関心が深く、外国人と同様に日本語を第二言語として習得する「ろう児・ろう者」への学習サポート活動も試行している。著書に『入門・やさしい日本語』(アスク出版)がある。
ろうと手話 ── やさしい日本語がひらく未来

吉開章

ろうと手話やさしい日本語がひらく未来

ろう教育において長く禁じられていた「手話」を
社会に取り戻すろう者たちの運動を、
日本語教育と「やさしい日本語」から考える。

四六並/208頁/ISBN:978-4-480-01739-0/定価1650円(税込)

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