ろうと手話 ── やさしい日本語がひらく未来

伊藤芳浩×吉開章

『ろうと手話――やさしい日本語がひらく未来』(筑摩書房)刊行記念対談

自分で自分の言葉を選ぶ、言葉の多様性がある社会へ
第3回

音声、手話、字幕の3点セットで「やさしいせかい」をつくる

東京オリンピック・パラリンピックにおける手話通訳の導入

── 最後に、これからのお二人の活動についてお話をうかがいたいと思います。直近では、東京オリンピックの開会式で、手話通訳がテレビで放送されなかったことが問題になりました。それが、伊藤さんをはじめとする方々の訴えを受けて、閉会式とパラリンピックの開閉会式では、NHKのEテレでろう者による手話通訳というものがつきました。伊藤さん、どうやってこれを実現したのでしょうか。
伊藤
オリンピックとパラリンピック開閉会式というのは、国民的なイベントですね。ですから当然、ろう者・難聴者からも内容を知りたいという意見が、SNSで相次ぎました。また、オリンピック・パラリンピックは「多様性と調和」というテーマを掲げているのに、マイノリティがそこにアクセスできないということは、その声を大きく高める原因ともなりました。
そうして、全日本ろうあ連盟や各加盟団体をはじめ、我々IGBや多くの関係者、議員の皆様たちの声が、オリンピック・パラリンピック組織委員会や国、東京都、NHKなどの関係部署に届き、大きく事態を改善する動きになりました。こうして通訳がついたという流れがあったのではないかと考えています。
── すごく短い期間で実現したと思うのですが それはSNSで声が上がったというのが、その声の大きさというのが大事だったのでしょうか。
伊藤
それもあると思います。SNSというのは、かなり大きな意義があると思っています。個々の意見や思っていることを、そのときに市民メディアとして発信できるからです。それが増えることで、問題や課題の大きさが社会に浸透していくきっかけになり、新聞などのメディアでも取り沙汰されて、国を動かし、法律を変える流れにも繋がっていくと思います。
── 本当に、一人ひとりの声が変えることもあるのですね。
伊藤
そうですね。
── ありがとうございます。Eテレで導入されたのは、ろう者が通訳する「ろう通訳」というものでしたが、これはどういうものなのでしょうか。
伊藤
手話通訳というと、聴者がやるというのが一般の方たちには馴染みがあると思います。ですが、ろう者が通訳をするということもあるのです。どうやっているのかというと、まず、話し手の音声を聞こえる通訳者が手話に変えます。その行為をする人を「フィーダー」というのですが、フィーダーの手話をろう者が見て、それをろう者に伝わりやすい手話、つまりネイティブな手話に通訳するという仕方です。日本人の日英通訳者が英語に翻訳した英語を、ネイティブの英語話者がブラッシュアップして、英語にしなおすというイメージに近いと思います。
── これによって、ろう者にとってより受け取りやすい情報にするということですね。
伊藤
そうですね。
吉開
TwitterやFacebookで、ずっとこの件についてのろう者の動きを見ていました。いろいろな団体が声を上げたなかで、IGBさんが、いち早くこの問題に取り組まれたということも非常に大きいのではないかと思います。
最初は、十分な手話がなかったことに対して反感も出ていたのですが、蓋を開けてみたら、Eテレではありましたが、ろう通訳というものが実現して、非常に高く評価をされました。災い転じて福となるではありませんが、非常に画期的な出来事に貢献されたと思います。
伊藤
ありがとうございます。今回のオリンピック・パラリンピックでは、ろう通訳がメディアに出ました。今までは、テレビを家族と一緒に見るときに、ろう者が聞こえる人と一緒に楽しむことができませんでした。たとえばパフォーマンスのシーンでも、NHKのアナウンサーが、その方の背景や今までの取り組みをくわしく解説しているのですが、ろう者はただそのパフォーマンスを見るだけで、流れや解説はあまり入って来ず、面白さも半減していました。聴者の方はそれを自然に聞けるので、情報量が違っていたのですが、ろう通訳が入ることで、家族と一緒に同じだけの情報を得ることになりました。これによって、今まで気づかなかった、知らなかった視点、またパフォーマーの背景や裏話などの解説を、聴者とろう者が対等にそれを見て楽しむことができた、それもリアルタイムに楽しむことができたという声が多く聞かれました。
今後は、国民的なイベントについては必ずろう通訳をつけてほしいという声も上がっています。やはり音声だけではなく、字幕だけでもなく、字幕と音声と手話で、自分が理解しやすい方法を選べる形が理想的ではないかと思います。このことについては、今後、さまざまなメディアが対応するようにできればと思っています。

音声、手話、字幕の3点セットを

── 伊藤さんはIGBのお仕事というのは、多様なコミュニケーションができる共生社会を実現するための活動だとおっしゃっています。これがどういう社会なのか、実現のために伊藤さんがこれからどんな活動をしていこうと思っていらっしゃるのか、教えてください。
伊藤
多様なコミュニケーションとは、外国人の方も含めて多言語の社会ということです。グローバルな社会は必要ですが、それだけではなく、言語的マイノリティや、たとえば文字が読めない/読みにくい、または聞きとれない、そういったさまざまな障害を持っている人たちに対しての配慮をいろいろな方法で、リアルタイムで行っていく必要があると考えています。
また、自分で自分に合った言語を選べる、そして、その情報にアクセスしやすくするということが、社会で当たり前になるということが大事です。一人ひとりが自由にコミュニケーションを選べれば、豊かな共生社会になっていくということも考えています。そのためには、先ほどお話したように、手話、字幕、音声などさまざまな方法が用意されていて、この3つのセットが当たり前になっていくことが、社会には求められていくのではないかと思います。テレビや映画、セミナーなどのあらゆる場面で、音声、手話、字幕が普及するような取り組みを進めていきたいと考えています。
現在は、テレビ番組に字幕があり、オンオフをリモコンで切り替えられます。しかし手話通訳については、ついているのも一部で、しかもそれはオンオフができません。手話もオンオフができたり、大きさや位置を変えられたりすることが理想ですので、このように多様な人にやさしい放送になるよう、働きかけていきます。
── 多様なコミュニケーションができる共生社会というものを実現するために、聞こえる人ができることはどういうことがあるでしょうか。やさしい日本語の導入以外のことで教えてください。
伊藤
これは、無関心、無理解、思い込みに深く関係すると思いますが、自分が発した言葉がどう相手に伝わっているのか、しっかりと理解されているのか、また相手が言いたいことをちゃんと言えているかということを意識してほしいと思っています。
それができないと、目の前にあるバリアが見えないまま、気づかないまま、コミュニケーションをすることになってしまい、結局のところ通じ合えなくなってしまう可能性があります。通じていると思っても、最終的には通じないということも起こり得ます。
また、コミュニケーションのしづらさとはどんなことなのか、想像を働かせてほしいとも思っています。さまざまな要因があると思いますが、伝えたいことが伝わらなかったり、受け止めてもらえなかったりします。理解が不足するという場合もあります。そういった要因をなくすように努めてほしいと思っています。

ミュージックビデオ「やさしいせかい」

── 吉開さんは、多様なコミュニケーションができる共生社会を実現するために これからどんな活動をしようと考えていらっしゃいますか。
吉開
私はもともと広告というコミュニケーションの会社に勤めていますので、楽しいアプローチで多文化共生と情報保障の大切さを世に広めていきたいと思っています。
今年9月30日に、多文化共生に取り組む明治大学山脇啓造ゼミナールの協力で 「やさしいせかい」というラップミュージックビデオを公開しました。

手話ラップ版 やさしい日本語ラップ「やさしい せかい」

これは山脇ゼミの学生たちの協力でつくっているのですが、ここに手話ラップを入れています。ラップをしている西槇久仁子(にしまき くにこ)さんは、「こころおと」という手話バンドのボーカルをされている方です。非常にリズムに合ったラップをやっていただいています。
この「やさしいせかい」は、外国人の方だけでなく、視覚障害の方、聴覚障害の方も含めて、情報に関してやさしい社会をつくっていこうというテーマのものです。ぜひ皆さんにご覧いただければと思っております。
── 伊藤さん、ミュージックビデオをご覧になっていかがでしたか。
伊藤
映像を見ているだけでも、すごくやさしくなれるように思います。動きがあって、オリンピック・パラリンピックのようなイメージのろう通訳もついていました。内容がストンと入ってきて、臨場感ある内容になっていたと思いました。今後、テレビなどのメディアでも、このように通訳がついていくといいなと思います。
── ありがとうございます。以上で、『ろうと手話』刊行記念対談を終了します。片言ですが、手話で「ありがとうございました」は手刀でしたっけ?
伊藤
そうです。
── ありがとうございました。(手話で)
吉開
よろしくおねがいします。(手話で)

この対談(たいだん)は、手話(しゅわ)と字幕(じまく)がついた動画(どうが)でも、見(み)ることができます。

吉開章

吉開章(よしかい・あきら)

電通ダイバーシティ・ラボ やさしい日本語プロデューサー。やさしい日本語ツーリズム研究会代表。二〇一〇年日本語教育能力検定試験合格。Facebook上の巨大日本語学習者支援グループ「日本語コミュニティ」主宰。二〇一六年政府交付金を獲得して故郷福岡県柳川市で「やさしい日本語ツーリズム」事業立ち上げ。以降やさしい日本語の社会啓発を業務で行っている。講演・メディア掲載多数。第二言語習得に関心が深く、外国人と同様に日本語を第二言語として習得する「ろう児・ろう者」への学習サポート活動も試行している。著書に『入門・やさしい日本語』(アスク出版)がある。
ろうと手話 ── やさしい日本語がひらく未来

吉開章

ろうと手話やさしい日本語がひらく未来

ろう教育において長く禁じられていた「手話」を
社会に取り戻すろう者たちの運動を、
日本語教育と「やさしい日本語」から考える。

四六並/208頁/ISBN:978-4-480-01739-0/定価1650円(税込)

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