ろうと手話 ── やさしい日本語がひらく未来

伊藤芳浩×吉開章

『ろうと手話――やさしい日本語がひらく未来』(筑摩書房)刊行記念対談

自分で自分の言葉を選ぶ、言葉の多様性がある社会へ
第2回

手話が第一言語である人々と、その家族

手話を第一言語として生きる人たち

── 伊藤さんは、コミュニケーションバリアが生じる理由として、聴覚障害や言語障害だけでなく使用言語の違いもあると指摘されています。『ろうと手話』では、まさに「ろう者を日本語とは違う母語の人たちだと捉えて尊重しよう」「音声日本語のコミュニケーションに困難のあるろう者、聴覚障害者のためにもやさしい日本語を普及させていこう」と訴えており、そこがお二人の共通点なのではないかと思います。
ただ、「第一言語が手話で、日本語が第二言語だ」ということは、聞こえる人にイメージしづらいかもしれません。伊藤さん、「第一言語が手話で、日本語が第二言語」というのは、どういうことなのでしょうか。
伊藤
「第一言語と第二言語」と順位がついていますが、大切なことは、自分自身にとって自分の気持ちをスムーズに表せるか、また相手の話していることを理解できるかどうかだと思います。言語はアイデンティティと密接な関係がありますので、自分らしさを表せるかどうかはすごく重要です。そういう意味で、順位があります。自分自身のことをスムーズに、構えることなく話せるかどうかということで、第一、第二、第三言語……とつながっていくのではないかと思います。
先ほど、吉開さんから「母語」についてのお話もありましたが、「母国語」という言い方もありますね。自分が使う言語として、生活上、仕事上円滑に話ができるということが順位につながっていますので、母語や母国語という概念もありますが、どちらかというと「第一言語」「第二言語」という言い方がしっくりきます。私自身は、第一言語が手話ということになります。
先ほどもお話ししたとおり、私は成人するまでは「口話」という方法でコミュニケーションを取っていました。ろう者の中には、口話では話の内容が半分わかるかどうかという状態の人もいれば、全く苦手という人もいます。私自身も苦手なほうでした。言っていることの半分ぐらいの情報しかつかむことができなくて、いつも不完全なコミュニケーションをしていたように思います。言い換えれば、ジグソーパズルをしているような、穴の空いているところを想像で埋めていくような感じでコミュニケーションをしていました。常に空いたところを想像で補っていくという会話の仕方をしていて、その想像がずれていたり、コミュニケーションがずれていたりということがありました。そのため、成人するまではずっとモヤモヤした状態が続いていました。
そして成人後に手話と出会い、さらに1995年に出版された『ろう文化宣言』を読みました。この本で、「ろう者とは、日本手話という日本語とは異なる言語を話す言語的少数者である」というろう者の定義があることを知って、私はすごく衝撃を受けました。
そのときが、私の頭の中で、日本手話が第一言語に切り替わった瞬間であるともいえます。言語としての日本手話があり、それが私自身のアイデンティティに結びついたということは、目から鱗という感じでした。このようなかたちで、第一言語が人生の途中で変わったといえると思います。
── 日本には、伊藤さんのように手話を第一言語とするろう者の方は、どれくらいいらっしゃるのでしょうか。また、どんな生活をしているのでしょうか。
伊藤
手話を母語とするろう者の数については、本当にさまざまなデータがあります。まず、手話を使用する人の数は、日本で5万人から8万人いるといわれています。手話を母語とする人は、さらにその中でも一部であると考えられています。また、その中でも、日本語も使用するバイリンガルもいれば、日本手話だけのモノリンガルの方もいらっしゃいます。どちらも日本語が十分に使えるケースは少ないと思いますので、さまざまなサポート――たとえば手話通訳などを受けながら生活をしている人が多くいらっしゃいます。

やさしい日本語はなぜ必要か

── 吉開さんは『ろうと手話』で、「やさしい日本語はろう者のためにも必要だ」というお考えを示しています。このことについて改めて説明していただけますでしょうか。
吉開
ろう者の方が日本語を苦手としている、もしくは間違った表現をするといったことは、「これは言葉の違いだ」と理解すれば、能力の違いではないということがすんなり理解できます。
これがおそらく、これまでろう者の方が受けてきた最大の誤解です。聞こえる人の言っていることがよくわからないので、正確に答えることはなかなかできない。学校で聞こえる子どもと一緒に学んでいる場合も、先生が黒板のほうを向いていると、全然唇を読み取れないということもあって、非常に不利な状況に置かれている。そういうことが積み重なって、勉強にも影響が出てくる。
これは外国人と同じことなので、今、人材獲得の必要から外国人に注目が集まっている状況で、一気にろう者への理解も広げていかなければいけないと思っています。
ただ一方で、手話がいちばん自然だといっても、やはり聞こえる人中心の世界に住んでいらっしゃる以上、音声日本語を読み取るというかたちで生活している方は非常に多いわけです。
そのときに、口元をはっきり動かす、もしくは一文を短く言う、という喋り方は、外国人に伝わりやすいだけでなく、聴覚口話法を使っている方にも非常にわかりやすくなるはずです。このように、コミュニケーションのスタイルが違う方に対して、少し普段と違う喋り方で、やさしい日本語の方法で喋ること。これが非常に重要になってくると考えています。
「やさしい日本語」の文法をシンプルにいうと、「はっきり、最後まで、短く言う」ということです。略して「ハサミの法則」といっていますが、この法則を、より多くの人に広げたいと思っています。
伊藤
「ハサミの法則」を使って手話通訳者が通訳すると、センテンスや内容がしっかりそのままろう者に伝わると思います。また手話通訳者も、通訳をするときに「このセンテンスは何か」というふうに内容をつかんでいるのですが、やさしい日本語はそこがはっきりしているので、通訳しやすくなります。そう言った意味で、情報バリアの解消にも一役買うやり方ではないかなと思います。

やさしい日本語を普及させるうえでのハードルと心構え

── やさしい日本語の普及という活動において、今課題になっていることは何ですか。
吉開
そうですね。伊藤さんがおっしゃった「無関心」「無理解」は、やさしい日本語の普及の課題でもあると思います。
障害のある方々に対して、一般にはやさしく接する方が多いと思います。たとえば、車椅子を利用する方や、目の見えない方が街中で困っていれば、話しかけて、時間をかけて最後まで助ける方も多いでしょう。これはやはり、日本語で事情を理解することができるから、皆さん親切にすることができるわけですね。ところが、ろう者や外国人の方に対しては、言っていることがわからない、もしくはこちらの言うことを理解してもらえないということがわかると、すぐに諦めてしまう人が多いと思います。そのときに、やさしい日本語で話すなど、ちょっと日本語を調整すればわかる可能性があるという発想がないので、外国の方もろう者も、日本で疎外感を感じることになるのです。
このような疎外感というのは、「第三者返答」という態度が原因にもなっているといわれています。この第三者返答というキーワードは、関西学院大学のオストハイダ・テーヤ教授が提唱した言葉です。たとえば、日本語を話せる外国人と日本人がレストランに行って、外国人が日本語で注文しても、その店員は外国人を避けて日本人にしか話をしないという態度をとることがあるようです。
実は、このような態度は車椅子の利用者も体験するといいます。車椅子利用者が歩ける友人と一緒にレストランに行くと、店員は友人にばかり話をするということがあるそうです。同じ日本語で話していても、見かけのバイアスが、なぜかこのような奇妙な態度を引き起こしてしまいます。それは、非常に不愉快な態度だと感じられるようです。
ろう者の方に関しては、外国人と同様に、違う言語やコミュニケーションスタイルを持つ人だというイメージで接して、特有の日本語の形にも真摯な態度をとり、「本人に直接伝えよう」という気持ちを持つことがとても大事だと思っています。
── 『ろうと手話』の中で、「日本語教師は、違う日本語に対して寛容な態度をとることに慣れている」と書かれています。一般の人も使える心構えやコツというのはあるのでしょうか。
吉開
まず、外国人にやさしい日本語で話しましょうということですね。
そして、「お互い様」の気持ちで相手の言葉を覚えることです。これは、海外旅行をイメージしていただけるといいと思います。たとえば、「タイに行きました。片言のタイ語で話したら通じました。向こうのタイ語もわかるようになりました」。こうやってコミュニケーションの調整をして、ちょっとしたことでもわかったら嬉しいでしょう。外国の人と接するときは、この海外旅行のイメージを持てば「お互い様」だと言うことができるので、自分がやさしい日本語を使って日本語を調整することと、片言の外国語を使って相手に調整してもらうことを、両方やっていきましょう。基本的にはそういう考え方で、手話を使うろう者の方とも、簡単な手話でもいいので話していただけるといいと思います。タイ語であいさつを覚えるように、「ありがとうございます」とか「よろしくお願いします」とか、こういうものを少しでも覚えることが大事だと思います。
ただし、これは本にも書きましたが、ろう者の方に対して「お互い様」の気持ちというのは、あまり成立しないと思っています。
ろう者の方はろうのコミュニティでは何の問題もなく過ごせます。そして、たとえばベトナム人も、ベトナムに帰ればベトナム語だけで何の問題もなく生活できるわけですけれども、ろう者の方は、ろうのコミュニティだけで生活するということはなかなかできません。常に聞こえる社会の中で生きていらっしゃるので、こちらも配慮するから、皆さんもちゃんと聞こえるように努力してくださいよ」という言い方をするのは、非常にイーブンではない関係かなと思っています。この点の理解だけは、少し外国人と違う調整をする必要があるということは、やさしい日本語の啓発の中でも 補足して伝えていこうと思っています。
しかしいずれにしろ、「日本語が苦手だということは能力の問題ではなく、もともと話す言葉が違っているのだ」という、この発想を広めることで、ろう者への理解もすごく速い速度で進むのではないかと思っています。

社会がろう者の言葉を奪っている

── 伊藤さん、先ほど吉開さんから、外国人や障害者が遭遇する「第三者返答」という言葉が出てきましたが、思い当たるところはありますか。
伊藤
IGBで取り組んでいるCODAとSODAの問題とつながっているように思いました。たとえば親が聞こえなくて子どもが聞こえるCODAの場合、病院に親子で行って医者と話をするときに、医者は親の顔を見ずに聞こえる子どもに向かって医者が話をするということがあります。つまり、親の代わりに子どもが通訳をしている場合に、第三者返答がありました。
またSODAの場合、たとえば姉が聞こえて弟が聞こえず、きょうだいでレストランに行くとしましょう。このとき、姉がお店の人に話をするときに、弟が何を食べたいか、姉に聞くことが多いです。このとき、実は弟はメニューを指すなど自分で直接伝える方法もありますが、姉が代わりに話をしていることがあります。このように、家庭内の中においてもコミュニケーションの仲介を担う聞こえる人が、社会に対して代わりに話をしている。本当は自分が話したいけど、お店の人や社会が勝手に、障害者当事者が話す機会を奪ってしまう、という状況が起きています。これは、第三者返答ということと少し似ているかなと思います。
吉開
少し補足しますと、ろう者・聴覚障害の方が聴覚口話法を使うときには、聞くだけではなくて話もしてくれます。自分の声は聞こえなくても発音をしてくれるのですが、これをろう学校ですごく勉強して、優秀な成績で卒業しても、社会や地域、職場で少し違った発音の仕方をすると、すぐ(聞く側が)諦めてしまいます。「この人はちょっと日本語が違うのだな」と避けられてしまうわけです。これは本当に切ないというか、大問題で、いかに聴覚口話法で学んでも受け入れてくれないということで、補聴器を外したり、声を出すことをやめたりするろう者も多いと言われます。学校での勉強が無駄になっているところもあるわけですね。そう考えると、やはり違うスタイルのコミュニケーションとの向き合いがとても大事ですし、「便利だから聞こえる人に話をする」みたいな発想というのは、とてもよくないと思います。
── 社会が言葉を奪ってしまっているというのは、すごい言葉だなと思いました。

ヤングケアラーとしてのCODAとSODA

伊藤
子どもやきょうだいが代わりに返答をするというのは、本人たちにとっての負担でもあります。先ほど(第1回で)も登場しましたが、「ヤングケアラー」という言葉をご存知でしょうか。家族のなかに介護が必要な方がいる場合に、子どもが自分の本分である勉強や遊びを犠牲にして、その時間をケアにあてると、そのあいだ子どもらしく生活することができなくなってしまいます。このことが今、日本でも注目される問題になっています。
それが実は、介助だけではなく、コミュニケーションの面でも発生しています。先ほどの病院の例では、子どもが自然に通訳をさせられている場合、親から頼まれてする場合、子どもが率先してやる場合といろいろあるのですが、必要以上に通訳を担わせることで負担を与えてしまうことがあります。コミュニケーションの面では、自分が本来望むかたちではないことも起き得ます。
これはきょうだいのSODAにも起こり得ることで、自分らしく子どもらしく過ごす権利があるのですが、社会の無理解があるために、そのしわ寄せが子どもに向かっていて、自分の意思に反して通訳をせざるを得ないという状況があります。やさしい日本語もそうだと思いますが、社会のなかで(言葉が)通じやすく、または言語が多様にあるということを社会の側が理解していけば、そういったしわ寄せはなくなっていくのだと思っています。
吉開
実は外国人も、子どもが親の病状を通訳するということがあります。私の知っている日系ペルー人の方は、日本に来て中学生くらいになってある程度日本語を喋れるようになったら、携帯番号が広まって、親戚やぜんぜん知らないペルー人からちょいちょい通訳を頼まれるようになったそうです。「通訳は絶対に電話番号を教えちゃいけない」と言っていました。それくらい、通訳って気軽に頼む人もいるわけですが、非常に重大な場面の翻訳を子どもが担うということは、やはり避けなければいけない。ということで、医療通訳の世界では今、電話で第三者が通訳をするということが進められています。
手話の医療通訳というのはまた本当に難しい世界だと思いますが、これからそこも保障されていくことになるのだと思います。

この対談(たいだん)は、手話(しゅわ)と字幕(じまく)がついた動画(どうが)でも、見(み)ることができます。

吉開章

吉開章(よしかい・あきら)

電通ダイバーシティ・ラボ やさしい日本語プロデューサー。やさしい日本語ツーリズム研究会代表。二〇一〇年日本語教育能力検定試験合格。Facebook上の巨大日本語学習者支援グループ「日本語コミュニティ」主宰。二〇一六年政府交付金を獲得して故郷福岡県柳川市で「やさしい日本語ツーリズム」事業立ち上げ。以降やさしい日本語の社会啓発を業務で行っている。講演・メディア掲載多数。第二言語習得に関心が深く、外国人と同様に日本語を第二言語として習得する「ろう児・ろう者」への学習サポート活動も試行している。著書に『入門・やさしい日本語』(アスク出版)がある。
ろうと手話 ── やさしい日本語がひらく未来

吉開章

ろうと手話やさしい日本語がひらく未来

ろう教育において長く禁じられていた「手話」を
社会に取り戻すろう者たちの運動を、
日本語教育と「やさしい日本語」から考える。

四六並/208頁/ISBN:978-4-480-01739-0/定価1650円(税込)

購入する 試し読み