本当に大切なものを守るために

藤田香織

「こんなはずじゃなかった」と、心の中で呟いたことは一度や二度、誰にでもあるのではないだろうか。
 理想の生活、理想の恋人、理想の就職、理想の家族。自分が思い描いたとおりに生きることができたなら、それはとても幸せだけれど、世の中そう上手く行くとは限らない。努力だけでは超えられない壁もあるし、何よりその努力目標を見誤ることだって少なくない。心が折れてしまいそうな事態に直面したとき、そこから立ち直る方法なんて、教科書には載っていなかった。人生の方程式に揺るぎなき正解などないことを思い知るたび、ここからどう進めば良いのか解らなくなり、全てを投げ出したくなることもある。
 本書『冬至祭』は、まさにそうした人生の岐路に立たされた家族の物語だ。
 主人公の戸田直人は四十八歳。一般的には働き盛りを過ぎたとも言える年齢ではあるが、テレビ局の報道プロデューサーとして仕事に打ち込んでいた。週一のニュース番組を率いつつ、新しい報道番組の企画もあたためている。成功すれば、確実に自らのキャリアとなり、最終的に役員にまで昇りつめられるかどうかの分岐点。一週間に七日働く年中無休の生活も、辛いと感じぬほどの仕事人間である。
 一方、戸田の一歳年上になる妻・今日子は、一流私立中学からエスカレーター式に大学に進み、卒業後は新聞社の記者をしていたが、現在は専業主婦。夫婦の間には、私立中学に通うひとり息子・拓人がいる。
 都内の一戸建てに暮らし、ローン返済も家計の負担にはならないほどの安定した高収入があり、息子を私立中学に通わせる余裕もある。典型的な都市型勝ち組家庭だ。が、その生活ぶりを読んでいくと、ふつふつと気持ちが苛立ってくる。仕事にかまけ〈人の親であることからおりた〉夫。出産後も働きたいという人生設計を崩され、息子を望み通りに育てることに執念を燃やす妻。「夫が働き妻は家庭を守る」と言えば聞こえはいいが、夫婦の「勝手な言い分」が微妙に癇に障る。
 しかし、そうしたえせ平穏生活が次第に崩れ始めることから
本書は俄然読者を惹きつけてゆく。過干渉気味な母親に強く反抗することもなく育ってきた拓人が、しばしば学校を休んでいることが判明。いじめ疑惑が浮上し、昼夜逆転の生活が始まり、窓ガラスを拳で叩き破り、母親の今日子を殴り、やがて完全に不登校となる。それでいてなお、戸田は仕事を優先し家のことを考えている余裕はないと、今日子に拓人を押し付ける。今日子は溺愛していた息子の変貌に戸惑いながらもカウンセラーを訪ねるなど事態の収拾にあたるが、拓人の様子は改善するどころか精神的にも追いつめられ「幽霊を見た」などと言い出し、ついには自ら手首を切ってしまう。命に別状はなかったが、この衝撃的な出来事によって戸田はようやく事態の重さを痛感した。
 息子が、そして責任の重さに耐えられなくなった妻もまた、壊れかけている——。ここから先、戸田の選んだ道をここでは明かさないが、転がるように落ちてしまった勝ち組家庭の道から、一歩一歩新たな幸福を目指し歩き始める姿に胸をうたれる。
 綺麗事だとは思う。現実はそんなに甘くないとも思う。経済的にも戸田のような選択を出来る父親はごくごく僅かだろう。けれど、それでも。あぁそうだ、本当に大切なものを守るためには、これほどの決断が必要なのかもしれないと、生きて行く上での小さな灯を示されたような感慨が読後に残る。
 小説のみならず、清水義範氏の綴る文章は、いつも仄かにあたたかいと常々感じているのだが、本書もまた同様。一度離してしまった手を再び繋ぎ直す力の強さが、確かな温もりとして伝わってくる。〈冬至ってさ、一年で陽がいちばん短い日で、つまりそれをすぎれば、その先はだんだん陽が長くなるんだよ。これまで厳しい冬に向かって進んできたんだけど、ここから先はゆっくりとだけど春に向かって行くんだ〉。土壇場で投げ出さなかったからこその戸田の台詞も、じわりと胸に沁みる。

(ふじた・かをり 書評家)

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冬至祭

冬至祭

清水 義範 著

定価1,995円(税込)