「本当の贅沢」と「自分のルール」。

千野帽子

早川茉莉さん。
 パリ、セーヌ左岸のカフェで、あなたの『森茉莉かぶれ』を読ませていただきました。『森茉莉かぶれ』はあなたが森茉莉に宛てたお手紙ですから、他人宛のお手紙をこっそり盗み読みしてしまったことになります。
 食べること、料理を作ること、雑誌を切り抜くこと、喫茶店で過すことなどと並んで、森茉莉が好きだったことのなかに、「手紙を書くこと」もありました。自分を〈手紙ずき〉と言い、長い手紙をまめに書き、手紙を貰うのも好きだったそうです。
 そんな彼女に宛ててあなたは、春は京都のレトロなアパートメントから、夏はカフェから、秋は森茉莉が一度は暮しそして愛したパリから、冬は東京から、月に四通、一年で四八通の手紙を書いたのですね。
 あなたもお書きのとおり、〈一人暮らしに憧れる女の子の多く〉が森茉莉の本を読んで〈本当の贅沢とは何かを知り、きっぱりとした自分のルールを持つことの大切さを学ぶ〉のだとするなら、〈ものを選ぶときの基準は、値段とか流行ではなくて「自分」〉であるということを教えてくれる『贅沢貧乏』や『私の美の世界』といった随筆集は、〈感性は共有しても群れない〉彼女たちにとって、開くだけで文字どおり「美の世界」の可能性を見せてくれる扉でありつづけているに違いありません。
「森茉莉体験」を森茉莉の世界だけにとどめておくのはもったいない、といつも思っています(「森茉莉」のところには優れた作家ならだれでも入ります)。だから本書が、森茉莉をめぐる、森茉莉に宛てた手紙でありながら、ご自身の森茉莉体験を他の文学者たち —— 片山廣子、武田百合子、ロデンバック、ジュリアン・グリーン、カポーティ、ヘミングウェイ、夏目漱石など —— の作品へと開き、繋げていこうとしている点に、〈文学と柔軟に付き合いたい〉、〈文学もまた嗜好品なんだと思うわ〉というあなたの気持を感じ、嬉しく思ったのです。
 森茉莉についての本は、すでに笙野頼子の名作『幽界森娘異聞』(講談社文庫)をはじめ、田中美代子・群ようこ・神野薫らの著書があります。雑誌では一九八〇年代の《少女座》六号からあなたが発行された《SURPRISE》誌を経て《文藝》別冊まで、歿後二〇年の今年はまもなく《ユリイカ》でも特集が組まれる、という具合に、森茉莉は定期的に話題になっています。
 しかし『森茉莉かぶれ』を読んで思い出したのは矢川澄子の、それも『「父の娘」たち —— 森茉莉とアナイス・ニン』(平凡社ライブラリー)ではなくて『散(あら)けし団欒(まどい) —— 野溝七生子というひと』(晶文社)でした。それは、いまここにいない野溝七生子にむかって矢川澄子が語りかけたように、あなたも森茉莉に〈あなた〉と何度となく呼びかけているからです。
 あなたも矢川澄子も、いまここにいない彼女たちに語りかけるとき、森茉莉や野溝七生子が書いた・語った言葉の引用を鏤(ちりば)めて言葉を綴っています。なぜなら著者たちにとって、森茉莉や野溝七生子の文章それ自体が、自分のもとに届いたなによりも嬉しい「お手紙」だったからでしょう。
 つまり『森茉莉かぶれ』は、森茉莉作品という「お手紙」にたいする返信の試みです。いまここにいない文学者の作品世界を慕う、「返信を期待しない相聞」です。森茉莉ファンなら、この本に彼女の作品の煌きの秘密を見出すかもしれません  ——ファンらしく、「ここはもうちょっと辛口でもいいんじゃないかしら」などと言いながら。いっぽう森茉莉作品をまだ知らない読者なら、この本を読んで森茉莉作品へと溯り、また違った自分なりの「森茉莉」像を新しく発見するかもしれません。
 そうそう、文中に出てきた森茉莉・山田珠樹夫妻のパリ時代に住んでいたホテル、ジャンヌ・ダルクがあった場所は、家から自転車ですぐのところです。あなたのお手紙に促されて、私もこんど行って見たいと思っています。
 ではまた、いつか、手紙を書きます。

(ちの・ぼうし 文筆業)

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森茉莉かぶれ

早川 茉莉 著

定価1,890円(税込)