働く母の意気込みが痛快

東 直子

 この『夏の力道山』という力強い名前の小説は、『愛情日誌』(マガジンハウス)の続編にあたる。『愛情日誌』では、これまであまり語られることのなかった、結婚して幼い子どもを持つ夫婦の性生活について、ユーモアとあたたかみを交えつつ、赤裸々に綴られていた。『夏の力道山』でも、同じ一家が描かれるのだが、今回は主人公の豊子が、「一家の主婦」であるという強い自覚のもと、家族を支える収入を得るための仕事に打ち込む姿を中心に、じっくりと描かれている。

《「一家の主(あるじ)」という言葉があるけれど、それなら「一家の主婦」という言葉もあっていい。(中略)この家を平和に治めるために一番影響力のある立場にいるのはわたしなのだ。それは、五十嵐豊子個人の神通力などではなく、まして妻であることや、母親であることでもなく、「わたしがやるのだ」という決意を秘めた主婦という「状態」なのだ》  

 こうした見解に、はっとする。子どもを育てている時の女性は、実に忙しく、煩雑である。次々にふりかかかってくる様々な出来事の一つひとつを、冷静に対応し、考え、瞬時に対処していかなければならない。ましてや仕事を持つ身であれば。  

 私も同じように二人の年の近い子どもを必死で育てていた経験があるので、豊子のめまぐるしい日常の詳細を切実に読みふけった。私の場合、この一連の動きの中から「冷静」の二文字が欠けてしまうことが多かった気がする。《「わたしがやるのだ」という決意を秘めた主婦》。こういった、宿命を背負ったような勇ましさが、あの時自分にあったら、などと思ってしまった。これは、すべてのテンパっているお母さんたちに、ぜひ読ませてあげたい小説だと思う。  

 物語は、真夏のある日の、あわただしい朝の一家の様子で幕を開け、豊子が仕事をするために家庭を抜け出して出会う人と、その回想を通して世界が広がっていく。映画に関わる仕事をしている夫の明彦には定期収入がないため、豊子が主に家計を支えている。その豊子が出会う人々の多様さが魅力的で、各人物ごとに物語を感じさせ、とても楽しめる。それは、豊子自身が気合いをいれて世界を歩いている様子が随所に受け取れるからだと思う。

 例えば、二人の子どもを保育園に預けに行く場面で《自転車が保育園に近づくと、わたしは、さぁ、多数派の世界へ突入よ、といつも思う。(中略)「うんしょ、うんしょ」と何かに負けないようにただ自転車を漕ぐだけだ》とある。なぜ「力道山」という名前がタイトルに出てくるのかは、読者の楽しみのためにとっておくとして、ガテン系(正式な仕事は広告の冊子などを作る仕事だが、精神的に)な母の意気込みが、そこここに伝わってくるのである。  

 特に興味深かったのが、鍼灸の瀬川先生。小学生の男の子を持つ母親であり、仕事を持つ主婦でもある。豊子の鍼治療中に交わす会話が興味深い。《結局、結婚って、愛とお金とセックスのうちの二つが満たされていれば成り立つらしいですよ》と瀬川先生は言う。結婚している人もしていない人も、この言葉に立ち止まり、自分は、と考えてしまう事だろう。こういう箴言めいたセリフやシリアスな家庭事情などが、鍼治療の動作の合間に淡々と吐き出されるところにおかしみと味わいがある。  

 また、豊子が働く事務所の社長の緑もおもしろい。豊子とは大学の同級生で、学生の頃から就職はせず社長になろうと思っていた緑は、アルバイト先で《仕事はね、芸だから。どんな仕事も、そうだから》という名言を残している。  

 その他、明彦の友人のプレイボーイの繁ちゃん、仕事の取引先の「しょぼい」会社員、同じ事務所の生真面目さとうかつさが混在する新入社員など、豊子の少し辛辣なフィルターを通して、その個性的な行動が詳細に浮き彫りになり、実に痛快なのである。  

 男女雇用機会均等法から二十年。働く女性達のリアルな現在が、真夏の一日に、力いっぱい詰め込まれている。

(ひがし・なおこ 歌人/作家)

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夏の力道山

夏の力道山

夏石 鈴子 著

定価1,365円(税込)