『屋上がえり』が出来るまで

石田 千

 空とコンクリートにかこまれ、ぼんやりする。地に足つかぬこころもちで、体だけなまなましい。頭をからっぽにするために来たつもりが、もとよりからっぽだったと気づく。

 町に住むひとの放牧地は、年中あおい人工芝がしいてある。階段をひとつおりれば散らばっている、いそいだり怒ったりを見ない。

 気が急いているのは、すきっ腹のひとぐらいで、ならぶ列が進み、頼んだうどんを受取れば、すっかり忘れている。

 みんながあたたまって目を細くしているのは、銭湯に似ている。デパートのエレベーターをのぼりきって、大露天風呂があったら、ずいぶんもうかると思う。

 二年のあいだ、毎月いちどのぼった。たいてい見晴らしがよく、ものがたくさんあった。

 巨大なビルがえんぴつほどになったり、地面で見あげたときにはマッチ箱ほどだったのに、ならんでみると吹き飛ばされる空調室外機があった。遠いちかい、でかい小さいが揺らぎ、目玉は信用できない。

 風の強い日は、こわかった。真夏の夜は、ビールがよく飲めた。雨の日には、鼻ばかりかんだ。そんな日も、入っていいところには、かならず先客がいた。二年のぼって、一番乗りはいちどもなかった。

 連載誌の名を借りて、立ち入り禁止の札をなんどもくぐらせていただいた。特別のお客のように、親切にしてもらった。   ふんぞりかえってのぼって、得意になる。ありったけ見てやれと欲をかく。そういうやわらかな風に吹き飛ばされるのが、いちばんおっかないと知った。足の指に力をいれ、たびたびしゃがむ。どんな最新のところにも、はじっこには草がはえていた。いぬふぐりや、ぺんぺん草の種は、鳥が運んだ。

 たくさんの方々のお力添えで、のぼって帰ってきた。  派手な風よけコートを着ておりてきて、ばったり会った知りあいに、きょうは屋上ですかそれとも踏切とからかわれ、決まりが悪かった。コチトラ、屋上ガエリダゾ。いばっても、だれもなんともない顔をしていた。

 デパートには、ちいさいひともたくさんいる。小銭をいれれば動き出すものがたくさんあるのに、人工芝の広場のほうが人気があり、よろこぶ声が明るい。ちいさいひとにとっても、放牧地が必要とわかった。

 連載中にお世話になりました皆さまに、御礼申し上げます。とくに、毎回、その日の風の匂いのする写真を撮ってくださった北村範史さん、ありがとうございました。  このあいだ、池袋の屋上でビールを飲んだ。日なたに背をむけあたためていると、鳩が横切る。  もっと高く飛べるはずなのに、わざとすれすれに過ぎて、さらに低いビルのわずかなすきまを抜けていった。なんにもない広い空より、でこぼことしているところをおもしろがる鳥もいる。町には、作り手とはちがう目的で建物を利用する生きものが、たくさんいる。

 ひとには、自分で作ったくせに、できあがると怖がって遠ざける、変てこなくせがある。

 母校の校舎は、新しくなると、屋上が立入禁止になる。寝ころんでさぼる学生は、どこにいくのか。図書館の、窓際あたりが混雑するのかもしれない。

 そのうち、百年ぶりに鍵が見つかって発見される、秘密の花園のような屋上もあらわれるから、長生きしたい。

(いしだ・せん エッセイスト)

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屋上がえり

屋上がえり

石田 千 著

定価1,680円(税込)