さぁ走れ!

夏石鈴子

 絹の腰ひもは、するりと解ける。栗林佐知さんのお書きになった「ぴんはらり」は、面白くて面白くて、するりと読み終えてしまった。どこもひっかからず、どうなるの、この先、どうなるの、とどんどん先が気になって、ぐんぐん読んでしまった。読み終ったら、すぐにまた最初から読み直したくなった。
 この作品は、太宰賞を受賞なさった時、「峠の春は」という題だった。でも今回、「ぴんはらり」になってぐっと締まった。「ぴんはらり」と来て、この後すぐに主人公・おきみさんの元気一杯な「はぁ」という、山々の空気を震わすよく通る声が聞こえてきそうだ。
 二十一世紀になったというのに、最初の一行めが、「むかし、あったがだと」である。これ、何だろうと思ったのは本当のことだ。方言なのか、ある時代の言葉なのか、あるいは、にっぽんむかし話なのか。でも、この言葉づかいがあまりにもしっくりと全体を流れるものだから、(ああ、そういうことにしたのね)と思うだけで、すぐに気にならなくなった。この話は読むだけでなく、朗読にも向いている。栗林さんは、声に出しながらこの物語を書いたのではないかな。
 主人公・おきみが圧倒的にいい。とても強い。この作品が映画化されるとしたら、ぜひ蒼井優にお願いしたい。はい、「フラガール」で「見てくんちぇ」と声をはりあげていた女優さんだ。あの映画では三カ月フラダンスを猛練習したということだけど、今度はじゃみせんを、猛練習してもらえないだろうか。きっと胸打つ映画ができる。
「ぴんはらり」を、ばーっと読んで、わたしはちょっと心配になった。全くよけいなお世話だけれど、栗林さんはずっと「にっぽんむかし話路線」で行くのかなぁと思ったのだ。ただの民話の人になると、もったいないではないか。だから「菖蒲湯の日」を読んで、安心した。今の時代の言葉づかいでだって、はい、とっても面白い。
 栗林さんが太宰賞を受賞なさったのは、四十三歳の時で、これは作家としていいことではないか。何がいいかと言えば、生きる上での、逃げ道を知り、ある種のテツガクが体にできてくる年頃だからだ。いじめられたり、つらい毎日のまっただなかにいれば、たぶん生まれてくる作品は、悲しみの実況中継になる。まぁ、それはそれなりにリアルで面白いけれど、作品は「はぁ、そうですか、それは本当に困りましたねぇ」で終ってしまいそうだ。その先を描くためには、書き手に知恵やテツガクが必要になってくる。テツガクは哲学とは違う。考え方の反射神経と言えばいいかもしれない。
「菖蒲湯の日」の主人公・タカモトを見よ。彼女は、ただやられているだけではない。弱そうで結構したたかだ。こういう人物が描かれていると、ほっとする。にやっと、できる。そして、どんどん応援したくなる。そういう人物を生んだ栗林さんを、とてもいいと思う。
 栗林さんは、太宰賞の前に、二〇〇二年に第七十回小説現代新人賞を受賞している。すごいなぁ、二つも賞をとるなんて。わたしはこの受賞作と、二作めも読んだ。現代の言葉で描かれた、ちょっとおとぎばなしのような作品だった。それならばなぜ「ぴんはらり」は、「むかし、あったがだと」なのか。栗林さんはきっと一大決心で肉体をリセットしたのではないかな。何を言われてもいい、とにかくこれで勝負に出るのだという、ずどんとした気持を感じる。
 おきみは作品の最後で、「叩いても、怒いても、おら負けねえど。唄うたって生きていくんだ」と、高らかに叫ぶ。それは、栗林さんの、書いていくという決心ではないか。「おら、ちょっとも、おっかねくはねえど」。そうですよ。こんな面白い作品なんだもの、大丈夫。あとは書いて書いて書きまくるだけだ。さぁ今こそ走れ、栗林佐知! あなたは素晴らしい。わたしは読み終えて拍手するばかりでした。
 走れ、おきみ、走れ、栗林佐知! わたしは峠に立ち、大きな声で、そう叫ぼう。

(なついし・すずこ 作家)

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ぴんはらり

栗林 佐知 著

定価1,470円(税込)