追悼・阿部良雄
阿部良雄の軌跡

清水 徹

 阿部良雄はフランス政府招聘留学生として高等師範学校(エコール・ノルマル・シユペリユール)の寮で三年暮らし、それから四年後にはパリのCNRS(国立科学研究センター)の二年間の研究員に選ばれ、さらに東洋語学校講師として二年パリ滞在を延長という長い研究生活を送ったのだが、その間一貫して《ボードレールと十九世紀フランス絵画》という研究課題を追究しつづけながら、そこから派生してきた文明論的なひろがりと歴史的な視野にわたるさまざまな問題意識との格闘をつづけた。彼が前後七年にわたるパリ滞在のあとに書いた『西欧との対話』という書簡体エッセーに、そういう格闘の露頭を端的に読むことができる。
 ちなみにCNRSとは、大学からはなれて有給で自由に研究を深化させる独自の組織で、その研究員となるためにはきびしい審査をへなければならない。阿部良雄は、すでに期待すべき研究者として、CNRS審査委員長マリ = ジャンヌ・デュリー教授などから深く認められていた。そしてパリに渡ってすぐデュリー教授から、ボードレール研究の第一人者ジョルジュ・ブランに紹介されたことで、阿部のボードレール学は飛躍的に深化をとげた。
 たまたまわたしは、一九六七年の秋から二年間の予定で東洋語学校で日本語を教えるためパリに行き、それまで以上に阿部と親しくなっていた。六八年一月、シンポジウム《美術批評家ボードレール頌——現在の発見》で、阿部が、オッタビオ・パス、ガエタン・ピコン、ハロルド・ローゼンバーグというような錚々たるメンバーに伍して、手がたい実証的探索に裏づけられたみごとな発表をしたのを聴いて、わたしはすっかり感心したのだが、これなどCNRS研究員としての阿部がすでに大きく成長していたことの証左だろう。
 やがて、当時パリ大学の学生だった與謝野文子さんと結婚をするから証人になってほしいという申し出をよろこんで受けたわたしは、六九年三月三十一日(わたし自身の誕生日でもあった)、大使館領事部に彼らと出掛けた。領事部での結婚というのは、ただ担当者のまえでそろって署名をするだけの簡単な儀式で、終わってからわたしたちはシャンゼリゼに出てふつうの店で食事をともにしたが、これでおしまい、というのはいかにも寂しい。評判のパニッツァの芝居『愛欲公会議』でも一緒に見にいかないかとわたしは申し出た。すると劇場で、阿部とは旧知の詩人イヴ・ボンヌフォワ夫妻とばったり遭遇した。まさに今日このふたりは結婚したのだとわたしがボンヌフォワに報告すると、それはめでたい、芝居が終わったらうちに来て飲まないか、と言う。こうしてルピック街のボンヌフォワ宅に行ったわたしたちは、愉しくおしゃべりをした。阿部が自著『ランボー論』の訳者だと知っていたボンヌフォワがサロンの話題としていかにもふさわしく、「日本語でランボーの“Je est un autre”をどう訳すか」という難問を出してきたのに対して、可能だとも言えるが、日本語には“Je est”に対応する動詞の語尾変化がないから、その意味では不可能だと、わたしたちが答えたことをよく覚えている。
 パリやイギリスの大学からしばしば招かれて講義をしていた阿部良雄は、「文学・芸術研究の領域で、本当に面白い発見はやはり徹底的に歴史学的かつ社会学的な探索から生まれてくる」という信念を抱いて綿密な探究をつづけた。同時にまた、十九世紀フランス絵画を大きく変えたボードレールの《現代性(モデルニテ)》の観念を探索の核心に置いていた彼は、そこから触発されてくる美術史の言説編成の変容のありようや、当時の絵画と群衆の関係といった問題に答えて、緻密な思考に裏づけられたフランス語論文や『群衆の中の芸術家』をはじめとする日本語エッセーをいろいろと発表する。彼の厳密な文献捜査は、精密な訳註の付された『ボードレール全集』の個人全訳という大変な仕事となり、ボードレールの、歴史概念としての《現代性(モデルニテ)》の生成と構造をめぐる精緻で実証的な研究は、やがて学位論文として提出される『シャルル・ボードレール』へと結実するだろう。
 学者としての阿部良雄は、《現代性(モデルニテ)》の観念から派生する多方面な問題意識のどれにも答えようとこころがけ、またヨーロッパ文学を学ぶ日本人としての軋轢のある立場につねに忠実であった。そのため彼と話していると、童顔の彼だったが息苦しいような感じのすることがあったのは否めない。大判五百ページの学位論文を書き上げたことは、そういう彼にほっと息をつかせたらしい。これでやっと「自由」に、長いあいだ温めてきたいろいろな主題について書けるようになった、と「あとがき」にあるのだから。だがその学位論文刊行の直後に、彼はパーキンソン病をわずらう身となって、十年以上ものあいだ長い闘病生活を送らねばならなかった。病のはじめのころこそ共訳のかたちで翻訳をいくつか出すこともできたが、「あとがき」に書き残されたようないくつもの主題は、ついに書かれずに終った。やっと自由な気持で仕事ができるようになったのに……、そう思うと、彼のなしとげた輝かしい業績にもかかわらず、かわいそうでならない。

(しみず・とおる フランス文学)

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マラルメの詩学

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