あしながのっぽのクワイン先生

冨田恭彦

 クワイン先生のことは、我が国では、哲学関係以外の人にはほとんど知られていないのではないでしょうか。でも、英語圏では、その名前が国語辞典に載っていたりします。ケンブリッジ大学の知り合いの英文学者も、クワインの「二つのドグマ」批判くらいなら、われわれだって知っていると言っていました。
「二つのドグマ」批判というのは、分析/総合の区別と還元主義とに対する彼の批判のことですが、それをはじめとして、全体論的科学観や翻訳の不確定性、自然主義の肯定など、彼の哲学的見解は、実に多くの哲学者に影響を与えました。そして、その結果、人間観に大きな変化をもたらすことになりました。
 彼の思想は、絶対的真理に依拠することなく生きることの肯定とでも言いましょうか、なにかを絶対視してそれにすがるのは弱さのしるしだと、クワイン先生は思っておられるんですね。ニーチェとは違うものの、自分を自分で乗り越えていく人間の在り方を正面から肯定した哲学者であったわけです。
 そのクワイン先生、長年ハーバード大学で教鞭を執っておられました。まだお元気だった頃、ハーバードの若い人たちに「先生がそこにおいでになるのだから、疑問があれば直接聞きに行けばいいじゃない」と勧めたことがありましたが、「おそれおおい」とのこと。でも、私の知る限りでは、茶目っ気のある優しいおじいちゃんでした。
 例えば日本人には「さん」を付けるものと心得、電話でも手紙でもいきなり「トミダサン」でした。偉い先生には違いありませんが、親しみやすい先生でもありました。
 親しみやすいと言えば、オハイオ州のオーバリン・カレッジを卒業されるとすぐ、フィアンセを伴ってヒッチハイクでボストンに行き、隣のケンブリッジ市にあるハーバードの大学院に入られたような方ですから、娘をおんぶして妻と一緒に修士の学位記をもらいに行った私には、世代や国は違うのに、妙に近しく感じられたものでした。
 それに、だいたい、お生まれが一九○八年の六月二五日。だから、「自分はアンチクリスマスの生まれだ」なんておっしゃるんです。ところが、亡くなられたのがよりによって二○○○年のクリスマスなんですよね。なんだか、先生が天国でいたずらっぽくウインクでもされていそうな気がします。
 先生は、私と同じで(え?)、ハンサムな人でした。一九歳のときの写真が残っていて、前にそれを拡大コピーして授業で学生諸君に見せましたら、女子学生が「ください」と言って持っていってしまったほど。お若い頃は、まるでジャニーズ系でした。それに、のっぽで足長なものですから、パーティなどでも目立っていました。
 そう言えば、名誉教授になられても、院生のパーティとかによく顔を出しておられたようです。若い人を励ますことも忘れない、その意味でも「あしながおじいちゃん」だったわけですね。
 そうそう、まったくの私事で恐縮ですが、

 親愛なるトミダサン
 あなたが私の哲学に関する本に着手したのを、嬉しく思います。……春にあなたが行った鋭い当を得た質問は、いずれも質問の動機となった様々な考察を周到に素描した上でなされており、それらからするに、あなたこそ、その計画を遂行するのにふさわしい人です。(一九九二年八月二四日)

こんな(ちょっぴり自慢の)手紙が私の手許に残っています。私もかつては、クワイン先生のこうした言葉に励まされた若者の一人だったんです。え、「若者」はなかろうって? 確かにそうですね。ハーバードで過した当時、すでに私は三九歳、でも、気持ちの上では、いまだ青春真っ盛りのあの頃でした。
 この四月には、彼の Quiddities(1987)の邦訳である『哲学事典』が、また五月には私の『アメリカ言語哲学入門』が、「ちくま学芸文庫」に入ります。前者はクワインの茶目っ気が満喫できる本、後者は彼の哲学の核心部分に足を踏み入れる本です。彼の思想が世に知られる一助になれば、嬉しい限りです。

(とみだ・やすひこ 京都大学教授)

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