超自然または一オクターブ上の自然
—田口ランディ『オクターヴ』によせて—

中沢新一

 南ドイツで発掘された三万六千年ほど前のホモ・サピエンスの遺跡から、鳥の骨で作られた笛が見つかっていて、いまのところそれが最古の楽器と考えられている。骨に開けられた穴の位置から推測して、すでにその頃の人類は五度の音程を出していたらしい。今日の多くの民族音楽と同じように、私たちの先祖たちは、五度圏の音程を組み合わせた音楽を、楽しんでいた様子が想像される。
 人類の音楽体験にとって、五度音の存在はとても大きい。強く張った弦を、2:3の比率の場所で押さえて弾くと、五度の音が出る。もともとの弦が発する音を主音(1:1)として、そこから五度離れた音程を探り出し、さらにそこから五度離れた音程を作り、というようにして、人類は音楽をはじめたらしい。五度離れた音程をつぎつぎに作っていくと、人類の耳はそのうち「同じ音」が回帰してくるのを認識する。ほんとうのことを言うと同じ音ではなく、振動数が倍の音が出ているのだけれど、違うものの間に類似を発見する能力を発達させたホモ・サピエンスは、アナロジー(比喩)の能力を借りて、「同じ音が戻ってきた」と考える。こうして一オクターブ高いあるいは低い音程がつくられた。
 五度音は、らせんを昇るように環を描きながら、オクターブ上の「同じ音」がくり返しあらわれてくるこのサイクルのなかで、主音からもっとも適切な距離にある「違う音」をしめしているように知覚される。主音を離れてらせん階段を昇りはじめ、カーブを曲がりきらないあたりで五度の音は発せられる。その位置を通過すると、出発したときと「同じ音(一オクターブ高い)」に近づいてしまうが、五度音はどちらの主音からも、適切な距離を保って異質なのである。まだよく理由はわからないが、人類の知性は主音から遠からず近からずの距離にあるこの五度音への移行を、こよなく好んだ。音楽の快楽は、まず五度音の魅惑から発生した。
 この五度音の発見の意味について、人類の古い神話はつぎのように考えた。神話は自然から文化への移行を重要な主題として語られる。生のものを食べる状態が自然をあらわすなら、火で調理したものを食べるのが文化の状態である。文化をもつことによって、ヒトは動物から離れた。言語をしゃべり、火を使って調理をおこない、神話によって自己認識を持ち、複雑な結婚のシステムを持ち、装飾を身につけることなどをとおして、ホモ・サピエンスは文化の領域への踏み出しをおこなった。同時に音楽も発生したが、自然から文化への移行に対応して、主音から五度音への移行が、ヒトの音楽体験を決定づけている。
 五度の音程は自然状態である主音にたいして、文化の状態をあらわす。しかし、そこからあまりに離れ過ぎると神や霊の領域に近づいていく。そこは超自然の領域である。文化によってヒトは自然状態を離れるが、自然からの分離が進みすぎると、いわば超文化の状態がもたらされる。しかし意外なことにそれは「一オクターブ上の自然」であり、別な見方をすれば神々と精霊の領域である超自然にほかならない。
 音楽は神話とよく似て、人類の心におこった原初の飛躍の瞬間の記憶を、いまも保存している。それは自然である音を素材にして、文化の組織体が形成されていく方向への道を開いたが、それと同時に超自然という超越的領域をも、人類の心の中に開いたのである。五度音とそれに誘導された「オクターブ」の存在こそ、私たちの心のもっとも奧深い謎の部分に触れている。

(なかざわ・しんいち 多摩美術大学芸術人類学研究所所長)

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オクターヴ

田口 ランディ 著

定価546円(税込)