ファイヤアーベントという衝撃

竹内 薫

 ポール・K・ファイヤアーベント……私がこの偉大な哲学者の著作に初めて触れたのは、今から二十七年も前のこと。私は、大学の二年生で、伊東俊太郎先生(科学史)の講読の授業を取ったのがきっかけだった。ちょうどその頃、新進気鋭の科学哲学者(そして科学史家)として売り出し中だった村上陽一郎先生が、『方法への挑戦』(共訳・渡辺博、新曜社)を翻訳したのである。そして、私は輪講という形でファイヤアーベントの著作に入門した。
 当時、後輩の死をきっかけに、法学の道を棄てて、知的な放浪の旅に出ていた私は、ファイヤアーベントの思想に大きな衝撃を受けた。特に、『方法への挑戦』のなかで、科学という営みが、宗教や組織犯罪や売春(!)と比べられていることに驚かされた。また、実験の積み重ねから仮説が導かれるのではなく、最初になんらかの仮説が頭の中にあって、それが理由で実験を行なうのだ、という科学哲学の常識に触れて、私は知的な眩暈を感じた。たとえば、ガリレオの周囲の大学教授たちは、実際に望遠鏡で月のクレーターを覗いているにもかかわらず、「月は完璧なはずだから、凸凹があるはずがない」という仮説に固執し続けたわけだが、そういった信じがたい事例も、私はファイヤアーベントの著作から学んだ。
 伊東先生の輪講は、知的な真剣勝負のような趣があった。われわれは、未知の世界に戸惑いつつ、毎週、他の授業そっちのけで、ファイヤアーベントの著作の「解読」に臨んだ。
 それまでと全くちがう考え方に触れたとき、人は、戸惑い、そして選択を迫られる。危険を冒して、思想の次なる高みに登ろうと決意するか、逆に、これまでの安穏な平地に留まろうとするか。
 受験戦争の最盛期に高校時代を過ごした私は、受験テクニックは大いに身につけたが、本当の学問に入門する機会がなかった。そして、その機会は、大学二年のときのファイヤアーベント購読によって訪れたのであった。
 ファイヤアーベントという哲学者は、波乱万丈の人生でも有名だ。子供のころからオペラ歌手になるのが夢で、実際、ウィーン音楽大学で声楽を学んでいたのに、第二次世界大戦に出征し、腰に受けた銃弾により半身不随に陥る。リハビリにより社会復帰するが、一生、杖が放せない身体になり、オペラ歌手の道は閉ざされてしまう。大学で天文学と物理学を修めたものの、博士論文は、いきなり哲学の論文を提出し、周囲を唖然とさせた。
「知のアナーキズム」、「ダダイスト」といった過激な思想は、特に科学者から嫌われ、著名な科学誌ネイチャーによれば「科学の敵ナンバーワン」という、ありがたくない異名を頂戴する。
 今回、ちくま学芸文庫に『知についての三つの対話』が入ることになった。実は、ゲラの段階で送ってもらって、この原稿を書いているのだが、ファイヤアーベントの熱狂的なファンとしては、嬉しいことこの上ない。
 ここでは、第二の対話から少しだけ引用してみよう。
「自由人というのは、つねに、その閑暇を利用して穏やかに対話を交わす時間を、思いのままに産み出すことができる。(中略)これに反し、プロの専門家は、いつも時間と向き合って話すものである。(中略)プロというのは、まるで奴隷である。仲間の奴隷と、生殺の権を握って坐っている主人の前で論争する奴隷である。」
 対話の冒頭からこんな調子なのである。これを読んで怒る人も多いと思うが、この歯に衣着せぬ批判精神が、実に痛快なのだ。
 自分のお師匠さんであり、「科学の味方ナンバーワン」の異名をもつ大哲学者ポパーについても、次のようにこきおろしてしまう。
「ポパーは哲学者なんかじゃないって。彼は形式的衒学者だよ。だからきっとドイツ人は彼のことが好きなんだ。」
 実に小気味いい。いつも、私は、ファイヤアーベントを読みながら、大いに笑う。それは、痛烈な政治風刺のようでもあり、哀しいオペラの調べを聴いているようでもある。
 もともと対話は哲学に最適の形式だ。人は、自分独りで考えるだけではなく、友人たちとの対話によって、さらに思想を深めることができる。
『知についての三つの対話』を読んでいると、いつのまにか、ファイヤアーベントその人が私の前に立ち現れる。
 良書の復刊に拍手したい。

(たけうち・かおる 科学作家)

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知についての三つの対話

ポール・K・ファイヤアーベント 著 , 村上 陽一郎 翻訳

定価1,365円(税込)