社会のにおい

橋爪大三郎

 映画『ALWAYS 三丁目の夕日』や続編がヒットするなど、昭和三十年代が人気である。東京タワーは建てかけで、白黒テレビがまだ珍しく、横丁には子どもたちが群れていた。都電、オート三輪、ブリキのおもちゃ、フラフープ。すべてがなつかしくセピア色で、郷愁をかきたてる記憶のアルバムに収まっている。
 ある時代は、それがすっかり過去のものになり、無害になってから、ノスタルジーとともに思い出されるのだろう。
 昭和三十年代に、東京のゴミゴミした一角に実際暮らしていた者として、このブームを考えてみたい。
 最初に言えること。映画は、なつかしい映像を当時よりもそれらしく再現できるけれども、その時代をそのまま再現するわけではないことだ。たとえば、におい。
 私の記憶にあるのは、思わず鼻をしかめるような塵芥(生活ゴミ)のにおい。そして、汲み取り便所のにおい。昭和三十年代の東京のいたるところを満たしていた、決して快適とは言えないにおいのかずかずである。
 当時、生ゴミは、セメントを固めてつくった箱状の容器(洗濯機2台分くらいの大きさで、路上に置いてあり、うわ蓋と前蓋がついている)に捨てることになっていた。プラスチックなどという気のきいたものはないので、生ゴミをそのままテキトーに捨てる。すると、何日かに一回、箱のついた大八車(外側が青く塗ってあって、東京都の六角形のマークがついている)をガラガラ引いて、清掃局のひとがやってきて、なかみを集めてどこかに運んでいく。そのあとどこかでトラックに積み替えて、埋め立て地に投棄したのだろう。大八車の通ったあとはボタボタと汚水がたれ、ハエがたかっている。
 糞尿のほうは、バキュームカーが吸い取りにきた。便所の脇の汲み取り用のフタをあけ、ホースをつっこみ、タンクに吸引する。大八車よりずいぶん近代的なようだが、その先は、そうでもない。糞尿運搬船に集め、タグボートで東京湾を出て、沖合何十キロかの太平洋で海洋投棄をしていた。なんとも乱暴な話だが、リサイクルと言えないこともない。
 都合のわるい舞台裏や、快適とはほど遠い生活実感は、なかったことになっている。道路は未舗装で、革靴を毎日手入れしなければならず、洗濯や裁縫も手間がかかった。高度成長期、人びとが消費に熱中したのは、けっして当時の生活に満足していなかったからだ。そんな時代をなつかしく思うのは、ポスト消費社会の贅沢である。
 ある時代を生きていて、誰もが体感するその時代の真実を、「社会のにおい」とよんでみる。それは、必ずしも、文字や記録のかたちで、のちの時代に伝わるわけではない。あまりに当たり前で、書きしるそうという気にならない。でもしばらくすると、それが当たり前でなかったことがわかる。その体感の真実は、忘れ去られ永遠に失われてしまう(かもしれない)。
 昭和三十年代のにおいなら覚えている私も、昭和十年代のにおいは知るよしもない。当時を生きたひとからいくら話を聞いても、においの部分はわからない。体感しなかった真実は、再構成するしかないのだ。
 社会のリアリティ(人びとの生きるありのまま)を考察しようとする社会学は、現在の社会を語り、異国の社会を語り、過去の社会を語る。そのとき、社会のにおいは消え失せている。この時代の社会のにおいは、語られない外側である。異国や過去の社会のにおいは、伝わらない外側である。それを知らない社会学者が、どうやってそれを再構成すればよいだろう。
 社会のにおいの再構成は、失われた言語の解読と似たような作業になる。うまくいく保証はどこにもない。大事なことは、そこに、失われた社会のにおいがあったはずだという、そのことをわきまえて、忘れず、社会を考察し記述する場合の前提とすることではないだろうか。
(はしづめ・だいさぶろう 東京工業大学教授/社会学)

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