歴史を形にする建築家ダニエル・リベスキンド

鈴木圭介

 ここに紹介する『ブレイキング・グラウンド——人生と建築の冒険』の著者にして、今やグラウンド・ゼロの跡地再開発のマスタープランを担当する建築家として一躍有名になったダニエル・リベスキンドは、名ピアニストのアルトゥール・ルービンシュタインの故郷として知られるポーランドのウーチにユダヤ人として生まれた。芸術的天分に恵まれたユダヤ人の常として彼は、まずは音楽の分野で神童ぶりを発揮し、アコーデオン演奏によって奨学金を得てアメリカ留学への切符を手にする。

 一九五九年に一家とともにマンハッタンに移り住んだリベスキンド少年はしかし、音楽の道をあきらめ、ニューヨークの名門クーパー・ユニオンで建築を学ぶと、イギリスへの留学ののち建築理論家、大学教師としての道を歩む。単なる個人の邸宅を建てることには最初から興味がなかったと、リベスキンドは言う。彼には、同胞や親族を襲った酷い過去を知る者として、おそらくかなり早い段階から自分の使命ということについて胸に期する所があったであろう。

 不思議な運命の導きによって辛くもホロコーストを逃れた両親から生を受けた者として、自分には死んでいった多くの同胞の叶えられなかった生の希望が託されているという意識。おそらくそうした思いから、彼は人々の記憶や歴史を何らかの形で建築に反映させる方法の探究へと向かって行った。七〇年代から八〇年代にかけて、リベスキンドは記憶術と呼ばれる古代の失われた学問を手がかりに独自の建築理念を練りながら、ひとまずそれを複雑精緻なドローイング作品やインスタレーション作品の形で表現する。それはちょうど、ピラネージがギリシア・ローマの古典古代の建築に憧れ、実際の建物を建てられない不満から自らの理想を空想的な一連の版画に託して表現したのに似ていた。  

 しかし、この雌伏の時を経て、リベスキンドは遂に運をつかむ。彼の理念を容れる器となるプロジェクトがとうとう大きな歴史のうねりとともにやって来たのである。それが一九八九年のベルリン・ユダヤ博物館の国際コンペであった。ベルリンのユダヤ人とその文化をテーマとするこのプロジェクトで、リベスキンドは初めて自分の民族的使命と理論を十全に形にする機会を手にする。そしてこの建設のためにベルリンに移住したリベスキンドを待っていたのはホロコーストを生んだ全体主義体制の終焉を告げる「十一月九日」のベルリンの壁の崩壊であった。プロジェクトはその後の東西ドイツの統一による財政難や役人の無理解などで、幾度か暗礁に乗り上げるものの、十二年後の二〇〇一年「九月十一日」にようやく一般開館にこぎつける。

 しかし、その日がまたもや歴史を塗り変える運命の日であったことは人々の記憶に新しいところであろう。ニューヨークを襲ったこの悲劇は、二〇〇三年のグラウンド・ゼロ跡地開発の国際コンペを経て、またもや建築家の人生を大きく変えることになった。

 『ブレイキング・グラウンド』は、これら二つの運命的なプロジェクトに出会ってその実現に奔走するリベスキンドとその妻ニーナの二人三脚の奮闘が主軸となって、それと平行しながら、実例に即して平易な言葉で多層的テクストとしての建築と彼が呼ぶ手法が、その独自の建築的発想や建築観とともに語られてゆく。

なかでもプロジェクトの裏側で、人々の欲や野心がぶつかりあい、虚々実々の駆け引きが行なわれるさまを活写した部分は、まさに人間喜劇を見るようで、建築に詳しくない読者にとっても興味のつきないドキュメントであるだろう。

 しかし、それだけではない。そうした言葉の背後で、通奏低音のように響いてくるものがある。それはホロコーストから9・11のテロにいたる理不尽な暴力によってこの地上から姿を消した多くの人々やその消失の痛手に苦しむ遺族を追悼し、慰撫しようとする声なきつぶやきなのである。そのつぶやきはまた、建築家がその多層的テクストのすべての基底部に書き込んでいるにちがいないものであろう。

(すずき・けいすけ 翻訳家)

前のページへ戻る

ブレイキング・グラウンド

ブレイキング・グラウンド ─人生と建築の冒険

D・リベスキンド 著, 鈴木 圭介 翻訳

定価3,675円(税込)