昭和33年と美しい国

布施克彦

 今月、ちくま新書として出版された拙著『昭和33年』では、日本人が過去を美化し過ぎる「昔はよかった症候群」であると同時に、現在を否定的に捉えながら必要以上に未来を憂える「未来心配性」であることを書いた。日本人が持つそういった心性を、わたしは必ずしも否定するつもりはない。直せといって、直せるものでもない。
 昔を懐かしみ、楽しかった往時に思いを馳せることは誰もが行う。わたしのような中高年は特に、同世代が数人集まればすぐ昔話が始まり、そして必ず盛り上がる。その中で、過去は必ず美化される。それは忙しい現実をしばし忘れる息抜きとなり、過去を見つめ直すことで、今の自分を反省、修正する効果を持つ。
 現状に満足せず、そこにある問題点がこの先大きくなることを憂慮する未来心配性とて、悪いことではない。常に気を抜かず、勤勉さを忘れない。未来に備えて蟻のようにコツコツ働く日本人は、結果として豊かな国を作り上げた。相当豊かになったのに達成感を持たず、もう少しキリギリス的に楽しんでもいいのではないかと思いつつも、やはり未来心配性は捨てきれない。ちょっと損な性分ではあるが、これは日本人の持つ一種の美徳であり、これからもこの国の平和と繁栄を維持するための大切な要素だと思う。
「昔はよかった症候群」や「未来心配性」を個人や私的な意志の通じ合った仲間同士の感情として留めておく分には、なんら問題はない。でもそれらが公的な発言としてなされるやいなや、わたしは白けた気分になる。映画「ALWAYS 三丁目の夕日」は、昭和33年当時を生きた人々のあたたかい心の触れ合いの部分を前面に出した製作者の意図が、大衆の支持を得た。映画を見た人の多くが、「昔はよかった」と涙を流した。そこまではよいのである。
 問題はその先だ。この映画を持ち出して、「いまの時代に忘れられがちな家族の情愛や、人と人とのあたたかいつながりが、世代を超え、時代を超えて見るものに訴えかけてきた……」とか、「昭和30年代の日本では、多くの国民が貧しかったが、努力すれば豊かになれることを知っていた。だから希望がもてたのだ」とかの公の発言が出てくると、わたしは反発を覚える。私情に留めるべき思い込みには、事実でない部分がまぎれ込んでいることが多いからだ。
 家族の情愛や、人と人とのあたたかいつながりは、今の世の中では本当に薄れてしまったのか。そういうことを思わせる事件報道に接することはあるが、それらは尋常ならざる事態だからこそ報道されるのであって、大多数の人々の間には、家族の情愛や人と人とのあたたかいつながりは今も健在だと思う。
 昭和30年代を生きた人々は、努力すれば豊かになれることを、本当に知っていたのか。誰もが希望を持っていたのか。昭和33年当時の新聞を見る限り、あの頃も今と同じように、先の不安に社会全体が覆われていたようだ。もちろん希望をもって努力していた人はいただろうが、それは今とて同じである。
 先の引用文は、新首相安倍晋三氏の著書『美しい国へ』(文春新書)の一節だ。この本を読んでも「美しい国」の具体像がよく見えないが、どうも昭和30年代当時にはあって、今は失われたとされる人情、家族の絆、地域への愛着、国への想いを取り戻すことを、「美しい国」を実現させるひとつの柱と考えているらしい。過去を過大に美化し、現状を過大に憂える「昔はよかった症候群」と「未来心配性」が、そこには凝縮されている。そして未来の美しい国を、「自信と誇りを持てる国」などと中身の薄いありふれた表現で結ぶ。感情が先行し、冷徹な歴史観と事実認識が希薄な新首相の見識に接することで、この人に国の舵取りを任せることへの不安が募り、日本人の未来心配性を増幅させるような気がする。
 先日某新聞の読者欄に、安倍首相の掲げる「美しい国」への具体的な注文が載っていた。汚職体質の浄化と、どぎつい広告の撤去や電線の埋設など都市の美化への注文だった。「美しい国」への施策は、このように具体的で分かり易くあるべきだ。美化される昭和30年代は、汚職体質が今よりはびこり、発展途上の都市景観は今より美しくなかった。

(ふせ・かつひこ 評論家)

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昭和33年

昭和33年

布施 克彦 著

定価735円(税込)