熱い食への探求心

阿部絢子

 食べものに関する書物は多いが、長年の『医心方』研究を通してのこの著書『野菜の効用——『医心方』四千年の知恵から』には、食べものへの熱い思い、深い興味、飽くなき探求心がギッシリと詰まっている。ナス、ショウガ、ダイコン、ゴボウなど普段食べ慣れている十一種類の野菜、桃、ビワ、ミカンなどの七種類のありふれた果物、それにワカメを加えた全十九種類の食べものの一つ一つに、『医心方』の理論、効能、害などをまじえながら、著者はその思いを囁くように語りかける。知らぬ間に引き込まれ、つい読みふけるのは、この著書が単に食べものの効用や知識だけを語っているわけではないからだ、と読み進むうち、読み手は気付かされる。著者の旺盛な好奇心はさまざまな分野に広がり、この広がりが読み手の共感を揺さぶり、食べものの深みへと目覚めさせてくれる。
 私が興味をそそられたのは、夏が旬のナスだ。著者はナスの話を求め、伝統の賀茂ナスについては京都府亀岡市の農業総合研究所へ、また幻の水ナスは、大阪府富田林市へと旅に飛び出す。この行動力に、まず唸り、次には誘われていく。ナスの知識や効能を知るためだけなら、旅することもないが、著者の探求心は机上に止まっていないのがよく分かる。もちろん読み手にとっても旅で出会った人々の食べものへの気持ちがシッカリと受け止められ、日々の食卓に登場するナスさえ違う食べものに思えてくるから不思議だ。京都府亀岡市は、『医心方』撰者丹波康頼ゆかりの地で、著者はここを三度も訪れているという。「トンネルを抜けた丹波盆地の緑のあざやかさ。白鷺の群れやユリカモメが、傾いた日ざしに一そう濃さを増した稲田から翔びたつ」というくだりに、私は著者と『医心方』の目に見えない強い繋がりがあるのではないかと感じてしまう。八月の田圃風景までもが目に飛び込んでくるような描写は細かく緻密で、旅したい気持ちも湧いてくる。
 現在、賀茂ナスをアメリカ産の米ナスと混同する人がいるということだが、言われてみると確かに間違いやすい。改めて賀茂ナスのヘタは紫で、米ナスは緑であることを認識させられた。由来や履歴についても面白い。賀茂ナスは別名を「大芹川」というそうだが、上賀茂神社の社名に因んで統一され、田辺、亀岡、綾部などが新産地となり、ブランド品として売り出しているなど、産地だけではなく流通の奥深くまで知ることで、賀茂ナスがより身近になって来る。
 水ナスでは、『ナス百科』を出版されている園芸専門学校の山田貴義教授との対談から、手で握れば水が滴るほど水分が多かったので畑で水筒代わりにされた、傷みやすいのでお姫様のようにそっと扱った、色ぼけを嫌いキヌナスと交雑し、紫紺になったなど、美味しさだけが水ナスではなかったことを改めて知らされる。とりわけ、私にとって身近に思えたのは、この水ナスが僧により新潟へ入り、十善ナス種となった、との話だ。私の故郷では夏になると十善ナス漬けを食べるが、水ナスの親戚だと今まで知らずにいた。十善ナス由来の謎が解けた。
 ナスに関する効能についても奥が深い。古代中国では「食べると肌に張りを与え、気力を益す食物」として、「脚気の人が苗や葉の煎汁に手足をひたすと、毒気を除く効果が大きい」と記されていたという。著者は、「当(け)」と読む方がふさわしい」と、分かりやすく解説してくれる。だからしもやけの場合には、根、茎、葉を枯らして煎じ、患部に塗るという。これまでナスについては、私もヘタの切り口をイボにこすりつける、塩を混ぜて歯茎に擦るといった効能くらいしか知らなかった。
「秋ナスを嫁に食わすな」の俗言は、寛文九年の食養書に「ナスを多食すれば必ず腹痛や下痢をおこし、女性は子宮を傷(そこな)う」とあるのがもととなり伝えられたこと、ナスは煮たものを少し用いる、虚冷の体質の者はさける、多食するとはれものや治りにくい病気になる、胃が悪くなる、膝が冷える、むくんだりするなど、本書は現代人にとっても食べものの摂り方をいろいろと考えさせられる内容が詰まっている。
 夏の食べもののナス一つについて、これほど深く探求した書物があっただろうか。食べ方をはじめ、利用法、対処法、生産現状、懐かしい思い出話までも網羅され、何かと役立ちそうである。家族で読んでほしい一冊だ。

(あべ・あやこ 生活研究家)

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野菜の効用 ─『医心方』四千年の知恵から

槇 佐知子 著

定価735円(税込)