「釜ヶ崎」化する日本

生田武志

 八月発行のちくま新書「ルポ 最底辺 不安定就労と野宿」についてここで触れるにあたって、あるとまどいを覚えている。この本では自分自身の経験について多く触れている。だが、自分がけっして大した仕事をしてきたわけではないことは、よくわかっているからである。
 さらにやっかいなのは、本は一つなのに内容が二つあるという点である。第二章以降で描かれるのは、現にいま、われわれが生きている時代の話である。しかし、第一章は、すでに一三年(一九九四年)から二一年(一九八六年)も前の出来事であり、これはもう物語というより、日雇労働者の街である「釜ヶ崎」の歴史と、自分自身の青春のひとコマを描いたものにすぎない。しかし、この第一章抜きですますわけにはどうしてもいかない。そんなことをすれば、第二章以降の大半がわからなくなってしまうからだ。  釜ヶ崎は日雇労働者の街であり、長らく日本で「不安定就労と野宿」の問題の中心だった。ぼくが釜ヶ崎に初めて行った一九八六年、釜ヶ崎近辺では一〇〇〇人近い日雇労働者が野宿をし、そのうち二〇〇人近くが毎年路上死していた。ぼくはそれを見て、「日本にもこんな場所があるのか」と驚いた。そして、それからボランティアとして釜ヶ崎に通い、二年後からは日雇労働者として仕事をし、日雇労働運動や野宿者支援活動を続けてきた。
 この一九八六年に労働者派遣法が施行され、釜ヶ崎などの「寄せ場」だけで黙認されていた「労働者派遣」が一般に認められる。そして、一三年後の一九九九年の派遣法改正によって労働者派遣は原則自由化され、それ以降、極限の不安定雇用と言うべき「日雇い派遣」が急増した。人材派遣業者から携帯電話やメールで仕事の紹介を受けて、一日限りの職場で働いて賃金を受け取るこの「新・日雇い」は、二〇〇七年現在「グッドウィル」「フルキャスト」二社だけで一日数万人を派遣している。この両社での仕事について、労働条件などのトラブルの相談が労働組合に相つぎ今や、「かつてトラックの荷台に集められた日雇いの不安定な働き方が規制緩和でよみがえった」(東京ユニオン・関根秀一郎)という状況である。つまり、一九八六年には健在だった「日雇労働者の街=寄せ場」が、一三年後の労働者派遣法改正を契機としてあらゆる職域、地域に拡大し、いわば日本全国が「寄せ場」化したのだ。
 フリーターは現実として「多業種の日雇労働者」である。不安定雇用の労働者の多くは、突然の解雇、低賃金、危険な労働など、雇用側の一方的な都合、あるいは理不尽な横暴に最もさらされやすい立場にいる。しかも、ちょっとした病気や何かのアクシデントでいつクビになるかわからない。こうした不安定就労の問題は、我々が体験してきた日雇労働の諸問題とそのまま重なっている。現状のままであれば、フリーターの一部は日雇労働者がそうだったように野宿生活化していくだろう。「不安定就労から野宿へ」「プレカリアートからホームレスへ」という社会問題の主役が、かつての日雇労働者からフリーターなどへと移っていくのだ。いわば、「日雇労働者がリハーサルし、フリーターが本番をしている」という状況である。
 したがって、この本は二〇年のスパンで「不安定就労と野宿」のリハーサルと本番を描くことになる。そして、この本が「全体として本質的な統一を保ちながら」おのずとふたつの話に分かれたことを、ぼくは喜んでいる。第一章を読み終えた段階で、読者はそれから先を読み始める価値があるかどうかを自分で決めることができるからだ(亀山郁夫訳「カラマーゾフの兄弟」より一部引用)。

(いくた・たけし 批評家/日雇労働者)

前のページへ戻る

ルポ最底辺 ─不安定就労と野宿

生田 武志 著

定価777円(税込)