注目されるネイチャーライティング

野田研一

 アメリカ文学の中に、「ネイチャーライティング」と呼ばれるジャンルがある。自然を主題とするノンフィクション・エッセイを指す用語だが、一九八〇年代後半あたりからアメリカの研究者の注目を浴び始め、九〇年代に入ると、関連する学会も設立された。またその後、(後述するとおり)日本やイギリスを初め、国際的にも研究活動が活溌になっている。
 とはいえ、どういう作家がいて、どういう作品が代表的とされているのかといった情報を得ようと思っても、日本ではなかなか適切な情報源がない。まだ研究そのものが不充分だからである。アメリカの場合は、一九八〇年代から九〇年代にかけて本格的な研究が行われ、一気呵成に文学史的整理が成し遂げられた。こうした動向の背景には、大学における研究、関連学会の設立、そして大学を初めとする教育機関における環境文学への関心の高まりがあると考えられる。大学はいうまでもなく、高校、中学などでもネイチャーライティングを教えるクラスが急激に増えているのである。
 ネイチャーライティングにはどういう作家と作品があるのか。手っ取り早く調べるには、いまのところ、文学・環境学会編『たのしく読めるネイチャーライティング——作品ガイド120』(ミネルヴァ書房、二〇〇〇年)が唯一無二と言っていいだろう。英語圏および日本のネイチャーライティングに関する情報が収められている。もっとも、残念ながら、日本の作品に関する情報が少ない。英語圏に比べてこの分野の研究がまだまだ進んでいないからだ。日本におけるネイチャーライティング研究は、いかんせん英米文学研究者を中心にして始まったため、肝心の日本文学に関する研究がまったく手薄であり、近代文学のみに限ってもまだ何も始まっていないと言ってよい状態である(この秋、コロンビア大学が日本文学に関する国際会議を開催する予定と聞く)。
 ネイチャーライティングのサブジャンルの主だったところを挙げてみれば、田舎暮らし、探検・冒険記、動物遭遇譚、登山、釣り、旅行、自然観察、動物や風景など多様にあり、考えてみればけっして物珍しい存在ではない。探そうと思えば、アウトドア系の雑誌から週刊誌・月刊誌のコラム、ときには新聞の文化欄などにも掲載されていることがある。
 また、自然派を自称する作家もけっして少なくはなく、他方、思いがけない作家が優れたエッセイをものしている場合も多い。そんな思いがけない作家のひとりとして、藤原新也がいる。藤原氏自身はネイチャーライターを自称することはありえないだろうが、初期の『東京漂流』『乳の海』などは氏独自の自然観を抜きにしては成立しなかった世界だ。日野啓三も、一見都市派的スタンスをとり続けていたため分かりにくいが、(外地育ちのためか)湿潤な農耕文化的自然観に一線を画しながら、身体論にまでおよぶ独自の自然観を作品のどこかに秘めていた作家である。
 この夏(八月一九日〜二一日)、金沢市で国際学会が開催された。ASLE-Japan/ 文学・環境学会が、韓国の同学会と共同開催する合同シンポジウム「場所、自然、言葉——日韓環境文学の〈いま〉を考える」という催しである。ゲストに、韓国の詩人高銀(コ・ウン)氏と思想家の内山節氏、さらにアメリカの詩人ゲーリー・スナイダー氏を迎え、三日間にわたり、日・韓・米等の環境文学研究者による研究発表とシンポジウム、朗読会が行われた(http://www.asle-japan.org/2007/06/post_12.html)。ASLE というのは、Association for the Study of Literature and
Environment の略で、現在、アメリカ合衆国、日本、イギリスなどヨーロッパ諸国、オーストラリア、ニュージーランド、インド、カナダなどに姉妹的な学会が存在する。国際的な動きのなかで、自分たちはいったいいかなる自然観を持ち、どのような課題に直面しているのかをじっくり考える三日間になった。

(のだ・けんいち 立教大学大学院教授)

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