愉快なアイルランド人たちと、ジョン・ヒューストン「白鯨」

川本三郎

 レイ・ブラッドベリを翻訳するのは二度目になる。最初のものは、短篇選集『万華鏡』(サンリオSF文庫、七八年)。一九六五年にヴィンテイジ社から出版されたブラッドベリ自身の選による短篇集“The Vintage Bradbury“の訳である。
 このヴィンテイジ叢書には、フォークナー、ナボコフ、アプダイク、スタイロンらが入っている。そうそうたるアメリカ文学の作家たちと並んでいるわけで、アメリカにおけるブラッドベリの評価が高いことをうかがわせる。この『万華鏡』に収められた短篇は「アンリ・マチスのポーカー・チップの目」をはじめ「メランコリイの妙薬」「たんぽぽのお酒」「刺青の男」「霧笛」などブラッドベリの代表作ばかりだが、なかに一篇、異色作が入っている。
「国歌短距離ランナー」。異色というのはこの作品だけが、アイルランドを舞台にしていること。ダブリンの映画館では、一日の最後の上映のあと、アイルランドの国歌を流す(NHKのテレビが最後に「君が代」を流すようなもの)。いくらアイルランドを愛する人間でも毎度毎度、国歌を聞かされるのはたまらない。そこで観客は映画が終わるや、国歌を聞くまいとわずかな時間に表に走り出る。そのうち誰がいちばん早く映画館から出るかを競いあうようになる。
 愚行を愛するアイルランド人らしい遊びの物語だが、ブラッドベリの作品のなかではファンタジーではない、珍しいもの。どうしてこの作品が『万華鏡』に入っているのか。
 不思議に思っていたが、さかのぼってブラッドベリの作品を読んでみると、アイルランドを舞台にしたものがいくつかある。
『よろこびの機械』(吉田誠一訳、早川書房、六六年)のなかの「オコネル橋の乞食」、『ブラッドベリは歌う』(中村保男訳、サンリオSF文庫、八四年)の「お屋敷、猛火に包まれなば」、『とうに夜半を過ぎて』(小笠原豊樹訳、集英社文庫、八二年)の「なんとか日曜を過ごす」などアイリッシュ・ストーリーと呼びたい作品がある。
 なぜアイルランドものがあるのか。
 この疑問は、一九九二年に本書が出版されて明らかになった。ブラッドベリは一九五三年に、ジョン・ヒューストン監督がメルヴィルの『白鯨』を映画化するに当って、脚本をまかせられ、当時、ジョン・ヒューストンが住んでいたアイルランドに呼ばれ、一緒に仕事をすることになった。そして約八カ月、アイルランドに滞在した。一連のアイリッシュ・ストーリーはその体験から生れた。
『緑の影、白い鯨』はそのタイトルが示すように、「緑」=アイルランドと「白い鯨」=「白鯨」の脚本書きというブラッドベリの体験をあらわしている。
 若いブラッドベリは、タフなジョン・ヒューストンの下で仕事をすることになり、まるでエイハブを思わせるようなカリスマ的監督に振りまわされる。知的でありながらマッチョでもある「ボガートよりボガート的」「ヘミングウェイよりヘミングウェイ的」の監督に翻弄される。ときには食事の席でからかわれ、泣き出してしまう。
 脚本が出来上るまで悪戦苦闘する若いブラッドベリを慰めてくれたのが、パブで知り合ったアイルランド人たち。酒と歌、何よりも愚行を愛する、気のいい連中に、はじめは目を丸くするが、次第に、実利主義のアメリカからやってきた若い作家には、彼らが愛すべき自由人に見えてくる。
『緑の影、白い鯨』は、ジョン・ヒューストンとの困難な仕事を回想する本であると同時に、異郷にいる孤独な作家の心を明るくしてくれた愉快なアイルランド人たちへの讃歌になっている。アイリッシュ・アメリカンであるジョン・フォード監督のアイルランドを舞台にした快作「静かなる男」(五二年)などを思い出しながら本書を読むと一層楽しい。

(かわもと・さぶろう 評論家)

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緑の影、白い鯨

レイ・ブラッドベリ 著 , 川本 三郎 翻訳

定価3,675円(税込)