日本は「丹精」で生きのびる

瀬戸山玄

 東京からはるか遠くの静かな田舎町……。そこで物づくりに励むプロはどんな切札をもつのか。ハゲタカ・ファンドうごめく非情な市場主義経済を遠目に、生きのびるカギは型破りな得意技を土地柄にどう重ね合わすかだろう。打ち上げ花火みたいな異業種交流ならバブル期にもあった。けれど物づくりの心意気や公益性の認識を同じくする者同士でないと、本物のいい仕事としてゴールしない。07年11月24日。『丹精で繁盛』の出版を前に、丹精な仕事を手がける地方人の縁結びを図る、ささやかな集いを東京銀座で催した。
 この日の顔ぶれは本書に登場し、世代や分野も異なる異業種の5人。誰をとってもドキュメンタリー番組がつくれるほど、経験豊かでユニークな内容に富む仕事人だ。規模の大小はともかく、自分流を貫く一徹者が一堂に会すのだから、はなから見合いも盛り上がっていく。たちまち“丹精党”結成パーティの趣で、方言も豊かに、裏話が明かされる近況報告となった。
 福島県いわき市からやって来た最年長の佐藤勝彦さんは71歳。偽装のはびこる水産加工食品界で、地元の雑魚と小魚を使って誰にもマネできない干物づくりをシステム化した発明者だ。「さつま揚げ屋をしてた頃は、卸した築地市場から入金のファックスを貰い、粉屋や油屋から届く請求書に振り込みしたりで、とにかく現金に触れることがなかった。それが今は一から自分で客に売るので、お金をいただける有り難みをつくづく感じる」「それにしても近頃スーパーで売ってる干物を見ると、魚を包丁で二度引きした荒っぽいやり方の製品がえらく多い」
 宮城県気仙沼市の造船所7代目・高橋和志さんは、建築家と組んで伝統の造船技を陸(おか)の建物に活かし一躍脚光を浴びたエンジニアで、社員20名の長である。漁協にも所属する氏は息子と一緒にその朝採ったばかりのアワビを手にして銀座に現れた。「昔ボウリングが大流行していた頃、木合わせが得意な木造船大工たちは、みんなレーンづくりに駆り出されて大忙しだった」「船が再び造れるのなら、陸での建築仕事は辞めてもいい」
 岐阜県高山市の岡田贊三さんは社員300人を率いる老舗家具メーカーの代表で、地元の林業復活を視野に入れてエコロジカルな杉家具づくりに挑む。「ベテラン従業員なので何でもつくれるのかと思ったら、10年間いつも同じ、削り出しの単純労働ばかりだとある日言われてがく然。これじゃダメだと多能工化の導入をすぐ決めた」
 山形県鶴岡市の加藤周一さんは、うまい米づくりと、林業の大胆な機械化と直売で、孤軍奮闘、農林家成功のモデルを築く。「80年代に農協を脱退した途端、子どもは学校でいじめられるし、私も嫌がらせを受けてそれはひどいもんだった。ところが今は手のひら返したようにパイオニアだと持ち上げられる」「木造校舎の新築に使う杉は高さ50メートルあるので、72歳の伐採師が上によじ登り三度にわけて段々と伐っていった」
 挾土(はさど)秀平さんはNHK『プロフェッショナル・仕事の流儀』にいち早く出演した。職人15名を束ねながら泥と自然素材を巧みに組み合わす飛騨のカリスマ左官だ。「地元の左官組合にはオレも入らない。会社的な決まりが大嫌いなので、朝礼も、現場から戻って夕方のミーティングもやらない。一人一人に直接指示を出す。けれど給料日だけは全員一緒に飯を喰いながら、2時間くらい自分の考え方を聞いてもらう」
 5人とも時流の変化によるピンチを一度くぐり抜けた仕事師たちである。時代を読む知力、他者を感じる力、地方で先頭にたつ勇気が際だつ。中央から地方を見下ろす縦の視線でなく、土地柄の網を広げる横の視線で、物づくりの領域横断性を見直す時、彼らに日本人のDNAを読みとる読者も多いだろう。
「現場近くの砂浜で採れる黒い砂鉄を使い、裏から磁石で壁にきれいな模様を描くには、どうしたらいいだろう?」泥のプロ挾土さんは早速、鉄のプロ高橋さんに意見を求め、いつか現場でコラボレートしようと意気投合。こんな開かれた出会いが連続線になれるなら、日本もまだまだ捨てたものじゃない。

(せとやま・ふかし ドキュメンタリスト)

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