『ダブリンの人びと』 あとがきのあとがき

米本義孝

 やっと、『ダブリンの人びと』(以下、便宜上『ダブリナーズ』)を昨夏になって訳し終わった。二十数年前からこの短篇集を訳そうと思いつつも、なかなかその気分にならなかった。ジェイムズ・ジョイスという名前の大きさに気後れしたのが理由のひとつだ。
 わたしが『ダブリナーズ』にはじめて接した一九七〇年代は、日本では、ジョイスといえば長篇小説ばかりが注目されていた。そのあおりを食って、『ダブリナーズ』は、「作家が若いころ書いた初期短篇集」と片付けられていた。
 そういう評価でこの作品を片付けるのに、どうも納得しかねた。ジョイスは、たとえ『ユリシーズ』や『フィネガンズ・ウェイク』などの大作を書いていなくても、『ダブリナーズ』一作だけで後世に残る作家ではないだろうか。作品の美質を形式、文体、語法、イメジャリー、リズム(ときには音楽的リズム)などの表現形式に求めて読むと、この短篇の芸術性に気づかされて、作品の見方(たとえば、内容が暗いとか地味すぎるとか)は変わってくるのではなかろうか。こう思い続けて、やっと数年前に、本腰を入れて訳業に専念する気になった。以下、訳者として気をつけた、二、三の点を述べてみる。
 翻訳の困難点は、外国の方言を日本語に移すことだ。方言を標準語で訳すのは手っ取り早い。だが、やはり方言は方言として訳したい。外国の一地方で、日常使われている言葉に対応する日本の方言など、日本のどこにあるのだ。なければ、作るしかない。
『ダブリナーズ』の言葉が標準英語にちかく、基調となるダブリンの中流階級の言葉は、アイルランド英語が入り混じっている。このことから、東京都に隣接する各県の出身者による言葉を取り混ぜてぼかし、そのように対話体や登場人物たちの内面描写体を訳すようにした。当然、北部出身者(「対応」の主人公の上司)や西北部出身者(「死者たち」の主人公の妻)のように、故郷の言葉が抜け切らない者の訛りに気をつかった。
 第二は、自由間接話法(三人称単数過去形でも、一人称単数現在形の雰囲気をかもし出す語法)の処理の問題。この語法のおかげで、語り手の文でありながら、人物に即した文体が生まれる。美辞麗句で飾って読者をうっとりさせる、名文や名語句とはほど遠い文体(ジョイス流にいえば、「用意周到に言葉をけちけちとケチった文体」)ができる。
 自由間接話法は訳者泣かせであり、今までは一人称現在形で訳すのが主流だった。この訳し方のほうが違和感のない日本語になり、その場の臨場感を伝えやすい。しかし、原文が三人称単数過去形であるので、それに従って訳出したい。そして、訳出してみた。この訳者はなんと文章が下手なんだろう、と思われるのを覚悟のうえで……。たとえば、「イーヴリン」やその次の「レースのあとで」の訳出をごらんいただきたい。短篇ごとの文体が微妙に変化するのは自由間接話法によるところが大きい。
『ダブリナーズ』の主人公たちは市内を実によく動きまわる。ジョイスの意図が都市ダブリンそのものを描くことでもあり、そのためには主人公たちに市内を徒歩か乗り物で移動させる必要があった。読者が地図を手元に置けば、登場人物が街中を歩きまわった道順をたどれるようになっている。拙訳では、読む人が主人公たちとともに作品上で街中を歩けるように、注でその道順を詳しく説明し、ほとんどの短篇の冒頭に地図を付した。これは新しい企画ではなく、『ユリシーズ』では地誌学上の研究書が何冊かあり、『ダブリナーズ』でもギフォードの注釈書はほとんどの短篇に地図を添えている。拙訳では、ギフォードを参考にしながら、ダブリンの地図四冊を使って作成した。読者諸氏もダブリンを訪れる機会があれば、主人公たちと同じ道をたどって作品の雰囲気を堪能していただきたい。足に自信のある方は、「二人の伊達男」の主人公レネハンと同じ道を歩いてごらんになってはいかがだろうか。

(よねもと・よしたか 安田女子大学・大学院教授)

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