アンドレ・ジッド再訪

二宮正之

 かつて『展望』という創意に満ちた月刊誌があった。その一九五一年四月号が手元にある。薄茶に焼けたざら紙の表紙には、上半分の中央に大きな黒字で「展望」とあり、下に赤く「四月号」、その右に黒で「架空東京会談 毛澤東 ネール キリノ」、左には赤地に白抜きで「ジイド特輯」とある。編集長は臼井吉見、発行者古田晁、定価百円。敗戦後六年、貧しい中にも、知識人がそれなりの役割を果たそうとし、それを支える出版社のあった時代の貴重な証言である。
 アジア改革の三巨頭を東京に集めた(架空の)鼎談に対応して、ジッド特集は、中村光夫との往復書簡が冒頭を飾る。中村光夫は、ジッドがどれほど日本において愛読されてきたかを伝えた後、世界文明が機械力とコンフォルミズムとに覆われ、戦後数年にしてまたもや戦争の危機に瀕しているという認識に立って、人類の狂気を生き延びる道を教えよ、と問う。
 ジッドは、デカルトを範とする「虚偽を憎む」気持ちこそが日本と西欧とを結ぶ絆だろうと言い、「いかなる国のいかなる制度のもとにあつても、自由な人間は(たとへ彼が鎖につながれてゐようと)すなはち私がさうでありさうでありたいと希ふ人間は、あなたの共感に値する人間は、みだりに妄信に引きずられず、彼が仔細に吟味できたもののほかは確かだとしない人間です」(中村光夫訳)と結ぶ。世界は、そのような「少数の個人」によって救われるだろう、と言うのである。
 この返書を認めた数週間後にジッドは世を去り、この頃を境に影響力も目立たなくなった。それから数十年たち、パリの書店でもジッドの作品の占める場は狭くなり、並んでいるのは文庫版が主である。しかし、このような表面の現象は、かつての流行作家が時代の変遷と共に存在価値を失ったということを意味しない。ジッドの存在は、人が意識しなければしないほど、確固として文明の深層を支えているという不思議な性質のものなのである。高い山ほど谷も深い。ジッドが自分の生涯を賭けて引き受け時代に先駆けて鋭く追究した様々な問題は、人の生きる道の根本に関わるものとして問われているのであるが、人々は自分がその影の下にいることに気づかずにいるのである。
 人間性を圧殺する宗教、植民地主義の弊害、理想から逸脱したコミュニスムの悲劇、同性愛に対する偏見、そして何よりも自由を希求し自己を全うしようとする個人の遭遇する永遠の諸問題、いわゆる「ジッド的問題」はどれをとっても、今のわたしたちに直接につながっている。
『展望』は、いうまでもなく筑摩書房の看板の一つであった。その看板は外されているが精神は生きている。ジッドの全貌を読み返す必要を知っている人はいるのである。その要望を受けて、「もっとも重要な現代人」と称された作家の全体像をできるだけ忠実に再現しようという試みを一人で何年もまえから続けているのだが、この度、その一環をまずは文庫本で読んでもらうことにして、L'immoraliste(一九〇二)を選んだ。『背徳者』の名で知られてきた作を『背徳の人』と改名したのは、背徳者という熟語にすると完全和音を一押しで鳴らす感じがするので、動きを含むアルペジオで弾きなおしたのである。
 この作の主人公は、確立した「主義」を標榜する者ではなく、自分の本性に忠実に、己に対して誠実に生きようとすると、どうしても世に通用している「徳」に悖る行為をせざるをえず、心ならずも背徳の道に踏み込まずにいられないのだが、さりとてそこに安住もできず、なおも生きる道を問い続ける、そういう人物なのだ。彼の言うとおり、自由になるのはなんでもない、自由であり続けることが難事なのだ。
 二十一世紀の「偽装」大国で、このような「背徳」のドラマを問い直す必要があるのだろうか、むしろ道徳の枠を無理にも形成するほうが急務なのではないか、と思われるかもしれないが、今の日本にも、自分一個の倫理を厳しく追究する人は必ずおり、ジッドに性急に教えを請うのではなく、作家の鋭敏な筆によって形付けられたこの美しい悲劇を、自分のドラマとして心にゆっくり響かせる読者はいるに違いない、そこにこそ真の倫理探求の基盤がある、と私は信じている。
(にのみや・まさゆき ジュネーヴ大学名誉教授・日仏近代文学)

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