ペイターの存在

富士川義之

 十年前に来日した長篇『抱擁』などで知られるブッカー賞作家A・S・バイアットが、ある講演のなかで、自分はイギリス作家であると同時にヨーロッパ作家でもあると語っていたのがとても印象的だった。イギリス文学だけでなくフランスやドイツなどのヨーロッパ文学の動向にも強い関心をもっているということをたぶん強調したかったからであろう。どちらかと言うと、外国嫌いの多い現代イギリス作家のなかにあって、彼女の発言はかなり異色であるためにかえって新鮮に聞えたものである。
 その発言を聞いていたとき、わたしがほとんど反射的に連想した作家がいた。ウォルター・ペイターである。彼はイギリス作家であると同時にヨーロッパ作家でもあるという、英文学史上ちょっと変わった位置を占める最初の作家だからである。
 変わっているというのは、第一に、終生イギリスの生活環境(三十年間オックスフォード大学で教えていた)のなかで過ごしながらも、彼の作品からはイギリスの生活に深く根ざす土着性というか、言ってみればイギリス性をあまり感じさせないからだ。ディケンズやハーディを読むときのような具合に、ペイターにイギリス性を求めても無駄だろう。シェイクスピアやワーズワスなどを論じるイギリス作家でありながらあまりイギリス的ではないちょっと変わった作家、それが今も昔も大方のイギリス人にとっての平均的なペイター像ではないだろうか。
 このたび完結した『ウォルター・ペイター全集』全三巻を見ても、ボッティチェルリやミケランジェロやレオナルド・ダ・ヴィンチらを論じる『ルネサンス』をはじめとして、二世紀のローマ帝国における若い知識人の精神の遍歴を辿る『享楽主義者マリウス』や宗教戦争のつづく十六世紀フランスを舞台に、マリウスに似た同じく若い知識人の物語『ガストン・ド・ラトゥール』、さらには北イタリアの美術やアミアンのノートル・ダム大聖堂、パスカルやヴィンケルマンやメリメなどというように、この作家の主たる興味が、イギリスの文学や文化よりもむしろイタリアやフランスやドイツのそれにあったことは明白である。しかし、ほかならぬこの特性、すなわちヨーロッパの文学や文化への熱烈な関心がペイターをペイターたらしめたのであった。日本でもフランス文学やドイツ文学に親しむ人たちのなかに、ペイターの愛読者が少なくないことは偶然ではなかろう。
 ペイターが活躍するのは一八六〇年代終わりから九〇年代前半にかけてのこと。彼は何よりもまず国民文学のイデオロギーを唱えるヴィクトリア朝の因襲的な価値観に対して異議を申し立てたのだった。つまり自ら公言するように、反規範主義者【アンテイノミニアン】であったのだ。
 ギリシア彫刻や神話に傾倒し、イタリア・ルネサンス美術を愛好し、近代フランス文学に精通し、ドイツ観念論哲学を読みこなしていたこのすこぶる博識な作家は、近代イギリス文学をヨーロッパ文学・芸術の精神史的文脈のなかで把握するという難事を身をもって実践してみせる。当時はまだ、ボードレールやフロベールやマラルメなどのフランス象徴主義文学のうちにしか見出せなかったさまざまの文学的理念や文体への関心を、彼はイギリス文学の領域に取り込むことに成功し、ワイルドやシモンズたちの世紀末文芸の生みの親となるのである。「死の意識によって活気づいた美への欲求」を強調することを通じて、ペイターは、いかに生きるべきかという問題が芸術とどんなに密接に結びついているか、その微妙かつ切実な様態について、誘惑的な調子で語って、ワイルドたちを魅了したのだった。
 それだけではない。ペイター風な気質やスタイルが、イェイツ、ジョイス、パウンド、エリオット、ウルフらのモダニズム文学の根源に知らず知らずのうちに時代を越えて伝わっていることが発見されて、一九七〇年代以後の英米におけるペイター再評価を促進させたのである。つまりモダニズム文学はペイターとともに始まるということ。今やペイターの存在を抜きにしてモダニズム文学は語れない。
(ふじかわ・よしゆき 駒澤大学教授・英文学)

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