遺伝子をめぐる大いなる誤解

池田清彦

 遺伝子は生命の設計図だとの稚拙な比喩がかなり長い間流行っていた。誰が最初に言い始めたのかは知らないが、稚拙とはいえ、この比喩のおかげで、多くの一般の人々は「遺伝子」というコトバに自分なりのリアリティーを感じることができるようになったのではないかと思う。これは科学の大衆化にとって悪いことではないけれども、同時に、遺伝子だけが形を作る原因のすべてである、遺伝子は万能である、遺伝子をすべて調べればどんな形の生物ができるか分かる、といった誤った思い込みを助長したことも確かであろう。
 遺伝子は細胞の核の中にあるDNAという長いひものような物質のごく一部である。DNAの直径は約2ナノメートル(1ナノメートルは1ミリメートルの百万分の一)。ヒトの細胞ではDNAは四六本のヒモとして存在している。これを染色体と言い、半分は父親から、半分は母親から受け継いだものだ。四六本をつなげると約2メートルの長さになる。ヒトでは遺伝子の個数は二万数千個、全DNAの数パーセントを占めるに過ぎない。
 遺伝子はたんぱく質やRNAを作る情報を有している。これらは生物の体を作る道具や部品である。遺伝子は生命や生物の設計図ではなく道具や部品の設計図なのだ。たとえて言えば、家を建てるための、クギやコンクリートやレンガや板や、トンカチやノコギリなどの設計図なのだ。生物は発生しながら、必要な道具や部品をそのつど作り出す。残念ながら、遺伝子にもさらには残りのDNAにも、いつどこで遺伝子を働かせてどんな道具や部品を作り、それらをどうやって使うかといった情報までは書いてない。
 だから、遺伝子やDNAをいくら調べても、それだけではどんな生物かは分からない。それは、クギや板やノコギリの設計図を見ても、どんな家が建つかわからないのと同じことだ。遺伝子は生命の設計図という比喩から普通の人が思い浮かべるのは、心臓を作る遺伝子とか天才になる遺伝子とかいったものかもしれない。しかし、形や性質に一対一で対応している遺伝子などはない。
 一つの個体の細胞の中の遺伝子は基本的にすべて同じである。それなのに、あるものは心臓になり、あるものは肝臓になる。異なる遺伝子たちが働いて、異なる部品や道具を作っているからだ。これらの部品や道具たちはまだ余りよく知られていないルールに従って、コミュニケートして、特有な細胞を作り、組織を作っている。遺伝子たちの働きの違いを決めているのは、その少し前の細胞の状態であり、それはさらに少し前に働く遺伝子と環境からのバイアスにより決まる。
 このように個体発生の時間軸を遡っていくと、ついには受精卵に行きつく。受精卵の細胞の状態が、最初の遺伝子のスイッチを入れるのだ。実はここまでに発生はかなり進んでいる。遺伝子が働き出すのはこの後なのだ。受精卵の状態と初期発生のプロセスが、その後の遺伝子の働き方に決定的な影響を及ぼす。受精卵という細胞がなければ、遺伝子たちは何もできない。
 遺伝子は確かに親から遺伝される。しかし、親から遺伝される事物のなかで最も重要なのは生きている卵なのだ。DNAは複製される。だから、基本的に子供が親と同じDNAをもつのは不思議ではない。ところが、細胞の状態は発生とともにどんどん変わる。それにもかかわらず、親の体の中で作られる卵の状態は、親がそこから発生した卵の状態に戻ってしまう。遺伝と発生において最も不思議なのは、まさにここなのだ。
 卵の状態が変われば、遺伝子はほとんど同じでも、遺伝子の使い方が変わってくるので別の生物に変身することが可能だ。御存知、これは進化である。大きな進化は個々の遺伝子の突然変異の集積により起こるのではなく、遺伝子の使い方の変更により起こることがわかってきた。しかし、どうすればそれが可能かはまだヤブの中である。
(いけだ・きよひこ 早稲田大学教授・生物学)

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