山本モナの恋愛経済学

山崎 元

 フリーアナウンサーの山本モナさんが、またスキャンダルの発覚から番組降板に至ってしまった。久しぶりの報道番組「サキヨミ」に復帰したその日のオンエアの後、新宿二丁目の行きつけの店で大いに飲み、その店に居合わせた巨人軍の二岡選手と五反田のラブホテルに行ったという一部始終を証拠写真付きで報じられてしまったのだ。
 直接のスクープ当事者ではないが、某雑誌の記者の話によると、両スポットともモナさんが出没する場所であることがメディアには既に知れており、今回は効率よく狙われたようだ。ちなみに、前回の路上キス写真を撮られたときも、東京のテレビ局の番組に進出してきたモナさんに関して、大阪のメディア筋から「彼女は、狙っていれば、必ず撮れる」という申し送りがあったという。前回の代議士も今回の二岡選手も報道番組の取材対象だし、何より奥さんがいるので、感心はできないが、こんなに狙われるのは、少し可哀想だ。もっとも、可哀想というなら、彼女の事務所のマネジャーこそ本当に可哀想だと思う。
 モナさんが今回のスキャンダルで失ったものは経済価値にしてどのくらいの大きさなのだろうか。「サキヨミ」のギャラは一回あたり三〇万円(一年間で約一五〇〇万円)と報じられていたが、他の番組も降板したし、イメージの毀損も大きい。タレント活動全般で被った損失は、仮に芸能活動休止が一年程度で収まったとしても、数億円レベルになるのではないか。筆者は、若い商社マンの社内恋愛トラブル発覚のコストを二〇〇〇万円とはじいてみたが、有名人である彼女の場合、一夜の過ちのコストは一ケタ上になる。
「一夜」と「数億円」の価値比較は、聡明と言われているモナさんにとって難しくなかっただろうと思うが、そのとき目の前にあるものの効用と、数年間掛けての数億円の効用とを比較して目前の誘惑が勝つような、異時点間の価値比較の歪みが、人間にはビルト・インされているらしいことは、近年、行動経済学で大いに研究されている(専門的には「双曲割引」の問題と呼ばれている)。
 人間は異時点の価値比較に弱く、ともすれば「遠くの理想よりも、近くの満足」を選択しがちだ。古来、恋愛の駆け引きにあって、この傾向性の利用は、恋愛の弱者が、強者(たとえば絶世の美女)を逆転する際に用いてきた技の根本原理だった。まして、美人のモナさんだ。二岡選手はグラウンドでは冷静なプレーヤーだが、暴走にストップが掛からなかった。「後悔よりも先に勃つものあり」ということだったか。
 前記のように、モナさんはもともと狙われていた。そして、前回も今回も、スキャンダルは彼女の価値が高まったところで表に出た。実は、この成り行きには、経済的な必然性がある。
 スキャンダルというものの価値は投資の世界でおなじみのコール・オプションと似ている。もとになっている価格は当人の世間的経済価値であり、「不倫」(「いい」とは言わぬが、ありふれている)にしても、当人が有名になるとスキャンダルとしての価値が出るし、そして、そのオプションが行使されるのは、価値がピークに達したとメディアが判断したときだ。
 振り返ると、前回のスキャンダルからの、モナさんの立ち直りは見事だった。彼女の復活の過程では、価格戦略と競争的エスカレーションの利用が巧みだった。価格戦略とは、彼女が「硬派(報道志向)の知的美女」というタレントとしての世間的な値付けを、「気さくでセクシーなお姉さん」というくらいまで一気に値下げしたことが、スキャンダルの副産物として残っていた知名度と相俟って、一気に彼女への需要を喚起した。彼女を巡る競争状況がハッキリしてくると、メディアの側では彼女に徐々に格上げしたポジションを提供するようになり、ついにモナ株の株価はかつての最高値に戻った(一瞬だったが)。今度は、起死回生が可能だろうか。
 自著の宣伝をするはずが、話題のニュースに気を取られてしまった。世間は恋愛経済学の題材に満ちている。読者の周囲もたぶんそうだろう。いろいろな角度から楽しんで下さい。
(やまざき・はじめ 経済評論家)

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