奇異なる物語に浸る至福

東 雅夫

 無人島に持って行きたい本は?と訊かれて、私が最有力候補のひとつとして思い浮かべる本に、昭和三十五年(一九六〇)から翌年にかけて刊行された『随筆辞典』全五巻(東京堂)がある。
「1衣食住編」と「4奇談異聞編」を柴田宵曲が、「2雑芸娯楽編」を朝倉治彦が、「3風土民俗編」を鈴木棠三が、「5解題編」を森銑三が——近世日本の文学や歴史に積極的な関心を寄せる者ならば、必ずや何かの機会に学恩を被っているに違いない天下の碩学四銃士が相携えて編纂にあたった、大部にして異色きわまる辞典である。
 何が異色きわまるのかというと、同書はたんなる辞典(ことばてん)ではなく、「象の饅頭」とか「ぺこぺん座頭」とか「めっぽう島」とか「呪詛の釘を抜く役」などといった項目ごとに、膨大な数にのぼる近世の随筆書から選り抜かれた原文を掲げてある、辞典というよりも、いっそ巨大なアンソロジーの集合体と呼ぶほうがふさわしい書物なのであった。
 全巻共通の「刊行のことば」には、「近世期の随筆は、何しろその数が夥しい。もしもここに特志家があって、その蒐集に志すとしたら、その人は予め書庫の用意からしてかからねばなるまい。この随筆辞典の五部は、容積はいうに足らぬにもせよ、圧縮せられた小随筆図書館の観を呈しているとも見て貰われようか」とあるが、まさしく言い得て妙、たまさか興趣を惹かれた項目を糸口に同書に読み耽っていると、あたかも机辺に一堂の図書館を備えているかのごとき心地がしてくるのであった。
 同書のもうひとつの魅力は、各巻のテーマが、いかにも読書好きの琴線に触れるものである点だ。
 なかでも第四巻の『奇談異聞編』は、私のように怪談や怪奇幻想文学を生業にしている貧書生にとっては、神棚に上げて毎日拝みたいくらい有り難き書物であり、実際、これまで幾度となくその恩恵を被ってきた。さるムックの企画で、江戸期の幽霊譚から代表的な話柄百話を選んで、独り百物語を書いてほしいと頼まれたときなど、付箋だらけで本の束(つか)が膨らんでしまい、函に収まらなくなったものだ。
 同巻の編者である柴田宵曲は、森銑三と双璧をなす博覧強記の読書人として夙に名高いが、先にちくま文庫から復刊された名著『妖異博物館』正続(一九六三)をはじめとして、怪談奇談への偏愛と造詣を窺わせる著作も少なくない。編纂の任に最適な人材であるわけだが、ただし、それでは順序が逆になる。
 刊行年次から察せられるように、『奇談異聞編』編纂作業の副産物として誕生したのが、『妖異博物館』であったと位置づけられるように思うからだ。
 同巻の博捜ぶりは大変なもので、たとえば「天狗」という項目をひらくや、『閑田耕筆』『猿著聞集』『耳嚢』『甲子夜話』『黒甜瑣語』『譚海』『四不語録』『卯花園漫録』からの採話が列挙された後に、「天狗遊石」「天狗礫」「天狗の書」「天狗の爪」「天狗の銅印」「天狗の飛行」「天狗の雇」「天狗の情郎」「天狗火」「天狗六兵衛」という項目が連なる。面白く通読するだけで、一端【いつぱし】の天狗博士になったかのごとき気分を味わえようというものだ。
 さて、このほどちくま学芸文庫より刊行される『奇談異聞辞典』は、右の『随筆辞典 4 奇談異聞編』を、そのまま文庫化しようという当節稀にみる壮挙である。『妖異博物館』文庫版の好評をうけて、本書に抜かりなく目をつけた藤原編集室の藤原義也さんの慧眼もさすがだが、それを分冊にせず、あくまで一巻本で刊行することにこだわった担当編集者の英断にも拍手をおくりたい。
 奇異なる物語を愛でる総ての読者に、時を忘れて浸りこむ至福を約束する、これは一巻の別乾坤に他ならないのだから。
 幸い本書が好評を博した暁には、御両人には残る四巻の文庫化にも取り組んでいただきたいものである。
(ひがし・まさお アンソロジスト・文芸評論家)

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