多読がひらく英語の世界

竹村祐司

 酒井邦秀先生(電気通信大学准教授)は七年ほど前に「多読」という新しい英語習得法を提唱、これが一つの運動のように全国に広がって、いまでは何千人という人たちが英語を楽しんで勉強しています。今度出版された『さよなら英文法! 多読が育てる英語力』のタイトルからもわかるように、従来学校で教えられてきた、単語を日本語訳とともに覚え、英文法を学んで英文を分析し、英語を日本語に訳して理解しようとするやり方をはっきり否定しているのです。
 私が学生のころ、日本人は英語を読むことはできるが会話が苦手なのだと言われていました。しかし、大学入試を突破してきた人でも、英語を十分に読むことのできる人、実際に読んでいる人はあまりいませんでした。どうも大学入試の英語ができることと、実際に英語ができることは別のもののようですね。その後、企業などで実際に英語を使う方にたくさん会って、私を含めてみな英語に困っていることも知りました。学校を卒業してからあらためて勉強し TOEIC などで高得点をとっても、実際に英語を使うのはとても難しいことのようです。
「多読」を提唱している先生は何人かおられますが、酒井先生の多読は、徹底的にやさしいものから、楽しんでたくさん読もう、というものです。
「徹底的にやさしい」英語の本は、普段あまり見かけませんが、一部の専門書店などで見ることができます。英米のこどもが読む絵本、学齢期に入って少しずつ文字が入ってくる本、さらに文字数が多くなって、といろいろあります。徹底的にやさしいもの、絵だけ見ても意味のわかるくらいのものから読みはじめます。
 そうした本から、たくさん読んでいくのです。日本の中学と高校の教科書の総語数は、二万五千語からせいぜい三万語ほどだそうです。これに対し多読では、五十万語から百万語を単位にして読むことを勧めています。読むというのは内容のある質的な作業ですから、かならずしも語数に還元されるものではありませんが、ともかく学校英語の常識とはレベルの違う量を読んでいくのです。
 たったこれだけのこと、文法分析をやめ、日本語に訳すことをやめ、自分にわかる本からどんどん読んでいくこと、これが大部分の学習者に驚くべき「効果」をもたらすのです。個人個人がどのように英語の世界を拓いていっているのか、次のホームページや掲示板で実際の声を聞くことができます。→ http://tadoku.org/ または http://www.seg.co.jp/sss/

 酒井先生が今回の本で強調しているのは、たくさんの英語にふれる意義、ふれる英語の量の大切さです。これまでの日本の学者や翻訳者は、少量の英文を、辞書と英文法の知識をもとに読み解くスタイルが多かった。学校英語はそれを薄めてやっているといえるかもしれません。しかし、ことばには、たくさんふれなければわからないレベル、境地というものがあるのです。本書では、たくさんの英語にふれることで見えてくる英語の理解について語られています。どういうことか、ぜひ手に取ってお読みください。
 十五年前、『どうして英語が使えない?——「学校英語」につける薬』で出発した先生は、学校や受験で行われている英語教育に痛烈な批判をして物議をかもしました。しかし、今回はさらに日本における英語の受容のしかたそのものに批判を向けています。もう「物議をかもす」レベルではなく、日本的な学校英語への訣別といってもいいでしょう。
「多読・多聴」が日本の英語に与えるインパクトの評価はこれからです。ようやく日本に、英語をことばとして正当に扱うやり方が出現したと思っています。
(たけむら・ゆうじ 成田英語倶楽部主宰)

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